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[中村エッセイ] 第9回「精神科看護の定義」からクライシス・プランの実践を考える

中村エッセイ精神科訪問看護とは

看護師・中村がクライシス・プランの実践を軸に、看護のこと(時々それ以外も?)を自由に綴るエッセイ第9弾!

僕が「精神科看護の定義」に立ち返る理由

みなさんは日本精神科看護協会(以下日精看)が示す「精神科看護の定義」をしっかりと読み込んだことがありますか? 僕はこの「精神科看護の定義」がとても好きで、ことあるごとに日精看オンラインを開いて確認しているくらいなのですが(ブックマークしています)、なぜそれほど惹かれているかというと、看護師としての自分の在り方が道を外れないよう、その都度立ち返ることのできる「軸」になってくれるからです。クライシス・プランにおいても、僕は常に「精神科看護の定義」と重ねながら実践を進めていくことを、強く意識しています。

おそらく、看護師なら学生の頃に一度は触れたであろうこの定義だと思いますが、臨床の場で日々の業務に追われる中で、そこに込められている「本当に大切なこと」を見失ってしまう看護師も少なくないと感じています。今回は、「精神科看護の定義」を手がかりにしながら、クライシス・プランの実践が精神科看護とどのように結びついているのか、考えていきたいと思います。

 

大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市全域対象

“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」

06-6105-1756 06-6105-1756

平日・土曜・祝日 9:00〜18:00 
【日曜・お盆・年末年始休み】

※訪問は20時まで
対応させていただいております。

 

精神科看護の対象とクライシス・プランの広がり

まず、「精神科看護の対象」という視点から、クライシス・プランとのつながりを考えてみたいと思います。日本精神科看護協会が示す「精神科看護の定義」は、たった99文字の中に精神科看護の本質が凝縮されています。

 

精神科看護とは、
精神的健康について援助を必要としている人々に対し、
個人の尊厳と権利擁護を基本理念として、専門的知識と技術を用い、
自律性の回復を通して、その人らしい生活ができるよう支援することである。

 

この中で、看護の対象は「精神的健康について援助を必要としている人々」とされています。また、定義の解説の中では、「精神的健康は単に精神疾患に起因するものだけではなく、人々が生きる過程で直面する多様な心の問題を含んでいる」と述べられています。つまり精神科看護は、「揺らぎを抱えながら生きているすべての人」に開かれた実践として位置づけられていると読み取ることができます。

僕は、この視点はクライシス・プランを実践していく上でもとても重要だと感じています。クライシス・プランは、未だに「状態が悪化したときの対応をまとめるもの」「再発予防のためのツール」として理解されることが少なくありません。しかし、精神科看護の定義に立ち返ってみると、クライシス・プランはもっと広い意味を持つ実践として捉えることができます。

実際、訪問看護の現場では、クライシス的な状況(自己コントロール感が低下している状態)から対話が始まることは少なく、「最近少し眠りにくい」「以前より疲れやすい気がする」「なんとなく人と会うのがしんどい」といった、日常生活の中のごく小さな違和感をきっかけとして、利用者さんが自らの不調を考え始めることが多いと思います。そして、その変化を単なる症状として捉えるのではなく、「その人が今どのような状態で生活しているのか」という文脈の中で看護師が一緒に考えていくことが、クライシス・プランの重要なプロセスなのだと思います。

また、日精看の解説では、精神医療の場が入院中心から地域生活支援へと移行していることや、人々の精神保健への関心が高まっていることにも触れられています。これはつまり、精神科看護が「病気になってから関わるもの」ではなく、地域生活の中で心の健康を支え、保持・増進していく役割を担っているということです。クライシス・プランもまた、危機対応だけを目的としたものではなく、「自分自身の状態を知りながら地域で生活していくための営み」として捉えられます。状態が大きく崩れてから対処・対応するのではなく、日常の小さな揺らぎに気づき、その人なりの対処や支えを一緒に整理していく、その積み重ね自体が、精神科看護の実践と深く重なっているように僕は感じます。

つまり、クライシス・プランは特定の対象に向けた特別なアプローチではなく、「精神的健康について援助を必要としている人々」に対して行われる、精神科看護そのものの広がりを体現する実践なのだと思います。

 

尊厳と権利擁護を支える対話としてのクライシス・プラン

日精看が示す「精神科看護の定義」では、「個人の尊厳と権利擁護」が三つの骨子のひとつとして位置づけられています。そして、その解説では、日本の精神障害者をめぐる歴史の中で、人権が十分に尊重されてきたとは言い難い経緯があったことにも触れられています。

精神科医療の歴史を振り返ると、長期入院や隔離・身体拘束など、「安全」や「管理」が優先される中で、本人の意思や尊厳が置き去りになってしまった場面は少なくありませんでした。だからこそ、精神科看護において「権利擁護」を語るということは、単に制度や法律を理解することだけでなく、その人の意思をどう支えていくかを日々の看護の中で問い続けることでもあるのだと思います。

クライシス・プランの実践には、この部分が非常に色濃く表れています。状態が不安定になったときほど、本人の思いや希望は見えにくくなり、支援者側の判断が優先されやすくなります。だからこそ、安定しているときから対話を重ね、「その人がどう生きたいのか」を共有し続けることに大きな意味があるのだと思います。例えば、「どのような状態になるとつらいのか」「どのような関わりがあると安心できるのか」「逆に、どのような対応は避けてほしいのか」といったことを、あらかじめ本人と一緒に整理したり、看護師が意識的にそのような情報を拾い集めていくことは、危機的状況においても本人の意思を尊重した支援につながります。

ここで重要なのは、クライシス・プランは「支援者が作るもの」ではなく、「本人とともに考えるもの」であるという点です。看護師が一方的にリスクを評価し、「こういうときはこうしましょう」と決めていくのであれば、それは管理的・指示的な関わりになってしまいます。そうではなく、本人の語りや経験を出発点にしながら一緒に考えていく、そのプロセス自体が、尊厳を支える関わりなのだと考えます。

また、日精看の解説では、精神保健福祉法に基づく精神医療の特性を踏まえ、治療上必要な行動制限に対して「可能な限り対象となる人の同意を求めながら、必要最小限となるように専門的知識や技術をもって応えなければならない」と示されています。

臨床の現場では、「本人のためを思って」支援者側が先回りしてしまうことがあります。しかし、どれほど善意から出た関わりであっても、本人の選択や意思が置き去りになってしまえば、それは権利擁護とは言えません。だからこそクライシス・プランの実践においても、「書くかどうか」「誰と共有するか」「どこまで記載するか」を本人が自分自身で選べることが重要になります。

僕自身、クライシス・プランの書面作成に関しては、「こういう整理の仕方はありますよ」と紹介することはあっても「強制はしない」という姿勢がとても大切だと感じています。作ることが負担になる人もいますし、「今はまだ書きたくない」と感じる人もいます。それでも、対話そのものは続けることができます。「書くこと」よりも、「安心して話せること」のほうが、ずっと重要だと思っています。

 

自律性の回復と「その人らしさ」を支えるプロセス

日精看が示す「精神科看護の定義」では、精神科看護の目的は、「自律性の回復を通して、その人らしい生活ができるよう支援すること」とされています。そして解説では、「自律性の回復」とは「対象となる人自らが、思考・判断・行動することを通して、自身のより良い生き方を見出すことを指している」と述べられています。しかし、精神科医療の現場では、ともすると「支援者が正しい方向へ導くこと」が支援だと捉えられてしまうことが未だに多くあります。

クライシス・プランの実践においては、例えば「どんなときに調子を崩しやすいのか」「どんな対処が役に立ったのか」などを共有することは単なる情報整理ではなく、その人が自分自身を理解していく営みでもあると思います。さらに、「どのように過ごしたいのか」「何を大切にしたいのか」を少しずつ言葉にしていくことで、その人自身の価値観や希望も見えてきます。

日精看の解説では、「人はだれしも固有の生活史と生活環境を有し、個別性を持って生きている」と述べられています。だからこそ、「その人らしさ」は支援者が決めるものではなく、その人自身の経験や価値観の中から立ち上がってくるものなのだと考えます。僕は、「正しい答え」を提示する存在ではなく、対話を通して「意味づけを支えていく存在」でありたいと思っています。

また、僕はよく、「クライシス・プランのピースを集める」という表現をするのですが、本人の語りや生活背景、感情の変化など、点在している小さなピースを一緒に拾い集めながら、「その人にとってどんな支えが必要なのか」をともに考えていきます。そして、その積み重ねの中で、その人が「自分はこういうことを大切にしているんだな」と感じられるようになっていく、そのプロセスこそが「その人らしい生活」につながっていくのではないでしょうか。

 

クライシス・プランの二つの側面

クライシス・プランには、「サインや対処を可視化するツール」としての側面と、協働的に考え続ける「プロセス」としての、二つの側面があります。臨床ではしばしば前者に注目が集まり、「書面を作成すること」が目的化してしまうことも少なくありません。

しかし、今回見てきたように「精神科看護の定義」に立ち返ると、本質的に重要なのは後者であることがわかるかと思います。書面はあくまでそのプロセスの一部を切り取ったものに過ぎません。つまり、「クライシス・プラン≠書面の作成・活用」であり、本質は対話を重ねながら更新され続けるプロセスにあります。

 

おわりに

精神科看護の定義に照らしてみると、クライシス・プランの実践は、「精神科看護の対象」「個人の尊厳と権利擁護」「自律性の回復とその人らしい生活」という三つの骨子すべてに深く関わっていることがわかります。

つまり、クライシス・プランは精神科看護の定義を日常の実践として具現化する一つのあり方として捉えられます。その本質は「書面」にあるのではなく、「ともに考え続ける関係性」です。

私たち看護師にとって大切なのは、「精神科看護の定義」を現場で生きたものにしていくことであって、だからこそ、クライシス・プランはツールとしての活用にとどまらず、プロセスとしての価値を大切にしながら、一人ひとりの実践に根づかせていくことが求められているのだと考えています。

 

この記事を書いた人

中村義幸

中村 義幸

フリーランス看護師 / MIRAI訪問看護ステーション 非常勤取締役

芸術系の大学で音楽を学んだあと、看護の道へ進む。精神科急性期病棟および精神科訪問看護での勤務を経て、現在は大阪を拠点にフリーランスの看護師として、訪問看護ステーションで働く方々に向けた精神科に関する教育支援などを中心に活動している。あわせて、東京のMIRAI訪問看護ステーションにて非常勤取締役を務めている。

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