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【CEOエッセイ】Vol.026 僕をかたちづくった、7人の“問いかけ”

2025.05.06 HEROさんシリーズくるみの社長エッセイ

こんにちは。株式会社Make CareのCEOであり、訪問看護ステーションくるみでマーケティングを担当している石森寛隆です。
XではHEROと名乗っていますので、もしよろしければフォローください。

僕は人生のあらゆる局面で、迷ったり、傷ついたり、立ち止まったときに、誰かの言葉や生き方に救われてきました。
画面越しの人だったり、歴史の中の人だったり、あるいは上司だったり。
彼らはいつも僕の耳元で、問いかけてくれたように思う。
「お前は、それでいいのか?」と。

このコラムは、僕が人生の指針としてきた“7人の男たち”の話です。
テレビに出ていた人もいれば、漫画を描いていた人もいるし、コンピューターをデザインしていた人もいる。
でも、共通しているのは、“その人の言葉や行動が、僕に何かを選ばせた”ということ。
僕にとってそれは「憧れ」でも「影響」でもなく、“問いかけ”だった。

僕は今、訪問看護や福祉の事業をやっているけれど、それは社会課題の解決がしたいとか、誰かを助けたいっていう理想論ではなくて。
もっと本能的に、「僕自身がこの社会の中で生きていける道」を探して、その先に“誰かに届けたい問い”が生まれた感覚がある。
だから、今の僕をかたちづくった7人に改めて向き合ってみたいと思った。

ここに出てくる7人は、万人に好かれるタイプではない。
むしろ、クセが強かったり、誤解されやすかったり、時には批判される人たちだ。
でも僕は、そんな彼らの「まっすぐで歪な問いかけ」が好きだった。

それぞれにその人の名言や姿勢を引用しながら、僕がどう向き合ってきたか、そして今の自分にどう活きているかを綴ってみようと思う。

これは僕自身の備忘録でもあり、
どこかで「同じ問いを抱えていた人」への手紙でもある。

大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市全域対象

“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」

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06-6105-1756

① 高橋がなり|“恥ずかしさ”と“本音”で、生き抜けるか?

僕はかつての一時期、高橋さんと一緒に仕事をしていた。

SOD(ソフト・オン・デマンド)という、男なら誰もが名前を聞いたことがある会社で、高橋さんは創業者であり、僕にとっては“上司”だった。
でも、それよりずっと大きかったのは、「こんなにも本音で、恥ずかしげもなく、思い切り生きている大人がいるんだ」という衝撃だった。

高橋さんは、人を喜ばせるためなら、自分がどれだけ恥をかいてもいいと、本気で思っている人だったように思う。

AVという“最も世間体の悪いジャンル”を、社会に必要なコンテンツとして堂々とやり抜き、その後、農業や教育に挑み、行政にもモノ申した。
誰もが避けるテーマに自分から突っ込んでいく。
それはパフォーマンスでも反骨でもなく、「本音を突き通すための勇気」だった。

一緒に仕事をしていた頃、高橋さんはよく「恥ずかしいことを恐れるな。人は、自分を笑った奴のことなんか、3日で忘れる」と言っていた。

僕は当時、まだ若くて、自分をよく見せたくて必死だった。
でも、高橋さんの背中を見て、「ああ、無様でいいんだ」「バカにされることを恐れてるうちは、何も変えられないんだ」って思えるようになった。

今、僕は訪問看護というまったく違うフィールドで事業をしているけど、そこに通じる哲学はある。

利用者さんやその家族の前で、偉そうな専門家である必要はない。
人として、正直で、恥を恐れず、寄り添うこと。
それが本当の意味で信頼をつくる、というのは、高橋さんが教えてくれた“生き方”そのものだ。

「俺は、死ぬまであがく」。
その一言を信じて、僕もまだ、あがき続けてる。

② 南原竜樹|“美学を貫くビジネス”という教科書

僕が南原さんと出会ったのは、SOD(ソフト・オン・デマンド)に在籍していた頃。
当時、インターネット販売や動画配信事業の責任者をしていた僕は南原さんに担当取締役という立場で事業の相談に乗っていただいたいた。

テレビで見る“マネーの虎”の印象そのままに、物言いはストレートで、ビジネスに対して妥協がなく、時に恐ろしくすらあった。
でも、現場で一緒に時間を過ごす中で、それがただの厳しさではないことに気づかされた。

南原さんは、「仕事には美学がなければ意味がない」という人だった。
効率や収益性だけじゃなく、「その事業にどんな哲学があるか」「それが世の中にどう影響を与えるか」に、いつも目を向けていた。
口数は多くないけれど、その一言一言が鋭くて、そして深かった。

僕が何かを提案したとき、南原さんがぽつりと放った言葉が今も忘れられない。
「それは、お前がやる意味あるのか?」
数字ではなく、“存在理由”を問われた瞬間だった。
その言葉が、自分の事業や人生に対する“軸”を見つめ直すきっかけになった。

いま僕は訪問看護の世界で経営をしている。

効率も大事だし、仕組みも必要だ。
だけど、「この仕事にはどんな美学があるのか?」「このサービスは誰の何を変えられるのか?」
そんな問いを、今でも自分にぶつけ続けているのは、間違いなく南原さんの影響だ。

ありがたいことに、今も僕の顧問として、事業をそっと支えてくださっている。
直接会うことが減っても、南原さんの存在は、常に“背筋を伸ばせ”と言ってくれているような気がする。

ビジネスとは、単に儲けるための手段ではない。
“生き方”を問われる行為だ。
それを初めて教えてくれたのが、南原竜樹という人だった。

③ スティーブ・ジョブズ|“思想をデザインせよ”という革命

スティーブ・ジョブズが亡くなったとき、僕は本気で泣いた。
親が死んでも泣かなかった僕が、人知れず、声を上げて泣いた。
それくらい、僕にとって彼は特別な存在だった。

彼が作ったのはパソコンやスマホじゃない。
僕が惚れたのは、“この世界は、変えていいんだ”という思想そのものだった。
世の中の多くの人は、今ある仕組みに順応し、与えられた枠の中で正解を探そうとする。
でもジョブズは違った。
「今ある世界のルールは、ほとんどが誰かが“そう決めただけ”のもの。だったら、自分もそれを変えられる」
そう言い切った。

彼がデザインしたのは、プロダクトではなく“体験”だった。
MacもiPhoneも、直感で操作できて、まるで「自分のために作られた」かのような錯覚をくれる。
それってつまり、“人間そのものを信じてる”ってことだと思う。
人は美しいものに触れたとき、自然に惹かれ、使いこなす力があると信じていた。

僕が今、「ベーシック・ライフライン」という構想を考え、生活保障や税制度を再定義しようとしているのも、
突き詰めると、あのときジョブズが見せてくれた問いに答えようとしている気がする。
“この社会は、もっとシンプルに、美しくできるんじゃないか?”と。

彼のスピーチを何度も見返した。
何十回も、同じ言葉を聞いた。
“Stay hungry, stay foolish.”
でも僕が一番好きなのは、別の言葉だった。

「最初から見えている点なんてない。
でも、後からふり返れば、点は必ずつながっているとわかる」

その“点”のひとつに、僕がなりたいと思った。
人生のある瞬間に、誰かの中で「あの人がいたから」とつながるような存在に。

ジョブズがこの世界から去った日、僕は一つ決めた。
思想を、仕組みに変える人間になろう。

④ 小林武史|“希望は、絶望の隣にある”という祈り

小林武史という名前に初めて触れたのは、Mr.Childrenのクレジットだった。
でも、彼の存在を“音楽プロデューサー”ではなく、“思想家”として認識したのは、ap bankを通じてだった。
彼がやっているのは音楽じゃない。社会と人間の「調律」だ。

ap bankというエコロジーとアートと経済を交差させたプロジェクトに、当時の僕は心を撃ち抜かれた。
“社会を変える”というと大げさだけど、そこには確かに「変えるという行為を、こんなにも美しく、静かに提示する人がいるんだ」という感動があった。

多分、「Bank with Gift of Music for ap bank」所謂、BGMからLiveに参加していて、2025年の東京ドームに至るまで、僕よりBank Bandのライブに参加してるファンは少ないと思う。

小林さんの音楽には、派手な煽動はない。
でも、ひとつひとつの音、言葉の選び方、間の取り方に、どこまでも人間への慈しみがある。
それは怒りじゃなく、諦めでもなく、祈りに近いものだった。
「信じるに足る人間性が、この世界にはまだ残っている」と、静かに訴えかけてくる。

僕が今やっている訪問看護も、福祉も、突き詰めれば「信じる力」がなければ成立しない。
制度や金の話だけでは、人は動かない。
人の回復や再生というのは、どれだけその人の内側に希望を見出せるかに尽きる。

小林武史という人は、「絶望のど真ん中で、希望を奏でられる人」だ。
僕はそれを、思想のレベルで真似したいと思った。
“崩れかけた社会の中でも、どこかに救いがあるはずだ”と、構造や制度のレイヤーで示していく。
それが、僕にとっての“ap bank”のようなものかもしれない。

音楽で人を救える人もいれば、
僕のように仕組みで救おうとする人間もいる。
でも根っこは同じだ。

「人間は、もう一度信じていい存在なんじゃないか?」

小林さんの音楽がそう信じさせてくれたから、
僕はこの時代に、制度を設計する覚悟が持てたんだと思う。

せっかくだからMr.Children絡みの小林さんの自分的エピソードを。
僕がミスチルにおいて小林武史という人を強く感じたのは、実は「離れた後」だった。
それくらい居て当たり前の存在だったからなんだと思う。

Documentary film」って曲なんだけど、最初はなんだか素通りしてた。

周りはみんな「いい曲」って言うのに、なぜか僕の中では引っかからなかった。
でも、コロナ禍のある日、小林さんとミスチルがスペシャルセッションで共演する動画が公開されて、
その中で、小林さんアレンジの「Documentary film」が演奏された。

その瞬間、この曲が一気に光を帯びて、僕の中に降りてきた。
イントロの魔術師、という呼び名に偽りはなかった。
桜井さんと小林さん。あの二人にしか生まれない“空気の音”が、確かにそこにあった。

でも、小林さんの呪縛から解放された今のミスチルもまた素晴らしい。
だからこそ思う。プロデュースって、祈りであり、手放しでもある。

そして僕も、制度や仕組みをプロデュースする人間として、誰かの人生をそっと後押しできるような存在でいたいと思う。

⑤ 長州力|“俺は噛ませ犬じゃない”という魂の叫び

小学生の高学年から中学生にかけて、僕はとにかくプロレスが好きだった。
派手な技や流血シーンに興奮していたのは最初だけで、気づけば僕は、リング上にしか存在しない“リアル”に魅了されていた。

やがて総合格闘技ブームが到来し、プロレスは「ガチじゃない」と笑われるようになった。
でも、それでも僕はプロレスを信じた。
そして、その信念を代弁してくれたのが、長州力だった。

猪木さんの無茶振りの中でも、彼は“プロレス”という興行の価値を守り抜いた。
格闘技とは違う、でも魂がこもった「魅せる闘い」を、リングの上で体現し続けた。
そこにあったのは、単なるスポーツでも、単なるエンタメでもない――“生き様”だった。

遠くの天皇より、近くの総理を守る。
誰かの大義名分より、目の前の仲間と観客を守る。
そうやって実務と情熱のあいだに立ち続けた長州の姿は、僕にとって“理想の経営者像”でもあった。

僕が訪問看護という現場にこだわるのも、同じ理由だ。
制度や理念を語る前に、まず現場の熱を感じていたい。
理不尽や怒りを他人事にせず、自分の体温で受け止めたい。
経営者という肩書きの前に、“現場の人間”でいたい。
それは、神の声より、現場の声を信じるということだ。

「俺は噛ませ犬じゃない」――
その一言に、心を撃ち抜かれた。

生きていると、自分が“噛ませ犬扱い”される瞬間がある。
評価されない、理解されない、無視される。
でも、そこで「本当にそうなのか?」と自分に問い、拳を握り直す人が、どれだけいるだろうか。

長州力は、まさにその場面で「否」と叫べる人間だった。
不器用で、誤解されやすくて、でも真っ直ぐで。
彼の怒りには、本物の“人間臭さ”があった。
筋書き通りにならない人生の中で、理不尽に真正面から立ち向かう姿に、僕は何度も勇気をもらった。

訪問看護の現場でも、経営の中でも、「おかしい」と思うことを、なかったことにするのは簡単だ。
でも、長州力の背中は、僕にこう教えてくれる。

「怒っていい。でも、リングの上で闘え」と。

怒りは破壊のためではなく、証明のために使う。
相手を潰すんじゃなく、自分を証明するために闘う。
それが、彼の貫いたスタイルだった。

僕が社会の矛盾に憤るときも、やるべきは“潰す”ことじゃなく“変える”こと。
逃げずに、でも暴れずに。向き合い、挑み、証明する。

「俺は噛ませ犬じゃない」――
その叫びを、僕の中に、いつまでも刻んでおきたいと思っている。

⑥ 手塚治虫|命は制度で割り切れない──手塚治虫から受け取った“まなざし”

手塚治虫の漫画、とりわけ『ブラック・ジャック』『アドルフに告ぐ』『きりひと讃歌』『陽だまりの樹』『雨ふり小僧』は、僕に“命”を見つめるまなざしを教えてくれた。それらの物語には、命の倫理や不条理、社会制度の歪み、人間存在の矛盾といったテーマが色濃くにじみ出ている。どの作品からも共通して伝わってくるのは、「命は制度で簡単に割り切れるものではない」という視点だ。

医療を題材にした『ブラック・ジャック』と『きりひと讃歌』では、命と制度の衝突が鮮烈に描かれる。違法な手術で人命を救うBJの姿は、法や規則の枠を超えて目の前の命を救おうとするもので、制度と命の相克を象徴していた。奇病で犬のような姿に変わる若き医師・桐人を主人公に据えた『きりひと讃歌』では、外見差別と人間の尊厳というテーマを通し、権威に凝り固まった医学界の歪みが暴かれていた。

社会の巨大な歪みに翻弄される命の悲劇は、『アドルフに告ぐ』や『陽だまりの樹』にも通底する。戦争下、人種差別と狂信によって命が踏みにじられる『アドルフに告ぐ』では、悲劇の果てに命の尊厳について深く考えさせられた。幕末を舞台にした『陽だまりの樹』では、閉塞した時代に若者たちが命を懸けて未来を切り拓く。さらに幻想的な短編『雨ふり小僧』は、忙しい日常に失われた純真な約束を思い出させてくれる胸に迫る物語だ。

こうした手塚作品から受け取ったまなざしは、僕が訪問看護の仕事や福祉制度の在り方を考える上で常に原点となっている。制度の狭間で孤立する利用者さんに向き合う時、BJが法に背いてでも患者を救った情景や、桐人が人間性を求めて苦闘した姿が頭をよぎる。また、誰もが生きるための基盤を保障される社会を目指す「ベーシック・ライフライン構想」の思考実験に耽るのも、一人ひとりの命の尊厳を守りたいからだ。「命は制度で割り切れない。」この真実を胸に、手塚治虫から受け取ったまなざしを糧に命と社会のあり方を問い続けていきたい。

“問いかけ”は、終わらない。

この7人を書きながら、僕は何度も自分に問い直していた。
「お前は、それでいいのか?」
あの時、あの言葉がなかったら。
あの人の背中を見ていなかったら。
今の自分は、きっとまるで違う人生を歩んでいたと思う。

僕は決して順風満帆ではなかった。
事業に失敗し、借金を背負い、自己破産をして、何度も人間関係を壊してきた。
でもそれでも立ち上がってこれたのは、どこかで“問いかけてくれる存在”がいたからだ。
「恥を恐れるな」「筋を通せ」「思想をかたちにしろ」「人を信じろ」。
それぞれ違うようで、でも全部が“今の石森寛隆”を構成している。

この7人は、僕にとって「ロールモデル」じゃない。
ああなりたい、という憧れじゃない。
むしろ、「お前はどう生きる?」と、背中で語りかけてくる人たちだ。
それは時に、怖い。痛い。逃げたくなる。
でも、逃げずにその問いに向き合ったときだけ、自分の輪郭がくっきり浮かび上がる。

僕は今、訪問看護の現場にいて、制度を変えようとする構想を持っていて、政治にも興味があって、未来を諦めていない。
それはつまり、「問いに答える人生を生きている」ってことなのかもしれない。

そして、もしこの文章を読んで、「自分にもそういう問いかけがあった」と思ってくれる人がいたなら、
今度はあなたが、誰かに問いかける番なのかもしれない。

“問いかけ”は、終わらない。
でもそれがある限り、人はきっと、何度でもやり直せる。

 

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