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【CEOコラム】Vol.040 AIがもたらす“スコレー”の時代〜進化した古代ギリシャへ〜

2025.09.01 HEROさんシリーズくるみの社長エッセイ

こんにちは。株式会社Make Careの代表取締役CEOであり、訪問看護ステーションくるみでマーケティングを担当している石森寛隆です。XではHEROと名乗っていますので、もしよろしければフォローください。

昨日の夜、ちょっと高い熱が出ていて、なかなか寝付けず、思考が全く休まらない状態で


こんなポストをしていました。

AIとロボティクスが進化した未来。
人々から「労働」と言う概念がなくなる時代の到来。

そんな愚にもつかない妄想を永遠と繰り返す夜。

メモがわりにそんな妄想をコラムにまとめてみようと思う。

大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市全域対象

“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」

06-6105-1756 06-6105-1756

平日・土曜・祝日 9:00〜18:00 
【日曜・お盆・年末年始休み】

“政治が必要なくなる日”を想像してみた

AIとロボティクスが限りなく進化した未来を想像してみる。
あらゆる生産活動は自動化され、病気の予兆も、犯罪の兆しも、社会のほころびも、すべてが先回りして処理される。
そこでは、生活保障も、住居も、食料も、自動で最適に配分され、すべての人に最低限の安全と余暇が与えられる。

この社会においては、「働かないと生きられない」という呪縛が消える。
朝、目覚めてから夜眠るまで、すべての時間を「自分のために使っていい」世界。
いわば、全人類が“スコレー(余暇)”を得る社会だ。

そんな未来に、ふとこんな疑問が浮かんだ。

「この社会に、政治は必要だろうか?」

秩序は保たれている。
争いは起きない。
誰かが他者を搾取する理由も消えた。

ならば、“政治”という営みは、何のために存在し続けるのだろうか?
その問いを考えていくと、僕の脳裏にひとつの言葉が浮かんできた。

進化した古代ギリシャ。

秩序があるだけで、世界は回るのか?

もしかすると未来の社会は、「秩序さえ定義されていれば、誰かが運営しなくても自然に回る」という状態になるのかもしれない。
AIによる社会最適化、スマートコントラクトによる自動調整、ロボティクスによる現場対応――それらがすべて揃えば、人間の手をほとんど介さずとも、社会は秩序立って機能し続ける。

この状態において、僕たちは“誰が上に立つか”“どの政党がいいか”といった政治的な選択を必要としなくなる。

そうなると、政治の本質とは「秩序のメンテナンス」ではなく、「秩序の定義」そのものである、という事実が見えてくる。

秩序がすでに定義され、それが守られているならば・・・
政治の大部分はすでに役目を終えている、という見方もできるのではないだろうか。

古代ギリシャと「スコレー」の復活

スコレー(σχολή)
それは古代ギリシャ語で「余暇」を意味する言葉。
ただし、それは単なる“暇”ではない。
労働から解放され、自分自身の内面と向き合い、哲学し、対話し、芸術に触れる時間のことだ。

古代ギリシャの自由市民は、このスコレーを享受していた。
なぜなら、家事や労働は奴隷が担ってくれていたから。
彼らの生活は、奴隷制度という犠牲の上に成り立っていたのだ。

けれどもし、ロボティクスとAIがその役割を“非人間的”に代替してくれるなら?
そして、その余暇が“全人類”に平等に与えられるとしたら?

それは、搾取のない「進化した古代ギリシャ」だ。

哲学の復権。
対話の再興。
「人が人と向き合う」ための時間の再獲得。
この時代において、問いを持つことそのものが、人間の営みとなる

政治は「問いを定義する営み」に変わる

AIが法をつくり、税を配分し、問題を先回りして解決してくれる時代。
もう「誰がリーダーか」なんて争わなくてもいい。
けれど、その社会が「何をよし」とするか、「どこに向かう」のかは、AIには決められない。

例えば、
・誰を優先する社会なのか?(子どもか、高齢者か、弱者か)
・どこまでが“自由”で、どこからが“迷惑”なのか?
・死とはなにか?生きる意味とは?

これらは数式で割り切れない。
AIは「最適解」を導くけれど、「価値判断」はできない。

だからこそ、未来の“政治”とは、「問いを定義する力」に姿を変える。

多数決のゲームではなく、合意形成のアートへ。
利益調整ではなく、価値の対話へ。
制度設計ではなく、関係性の構築へ。

それは、民主主義の再定義であり、哲学の再接続でもある。

ケアと関係性が社会の中心になる

この社会において、たったひとつだけ、AIが代替できないものがある。

それは、「人と人との間にあるもの」。
つまり、ケア、共感、感情のゆらぎ、そして関係性だ。

看護師が患者の手を握る瞬間、
子どもが親の背中に安心する瞬間、
誰かの沈黙を、沈黙のまま受け止める時間。

これらは、決してデータやロジックでは置き換えられない。

社会がスコレーに満ちたとき、残される“価値ある行為”は、ケアであり、つながりであり、共に生きることになる。

訪問看護を、ただの医療ではなく「関係性のデザイン」として捉えてきた僕にとって、
この未来は、決して非現実的な話じゃない。

おわりに〜「問いだけが残る世界で、僕たちは何を定義するか?」

技術が、労働を代替する。
技術が、秩序を維持する。
技術が、分配と最適化を担う。

では、人間には何が残る?

それはきっと、「問い続けること」。
・どんな社会をつくるべきか。
・何を大切にして生きるか。
・どんな痛みに寄り添うか。
・誰と、どのように“在る”のか。

政治は消えていくのではない。
政治は「答えをつくる」仕事から、「問いを定義する」仕事へと姿を変えて、未来に引き継がれていく。

AIがもたらす“スコレー”の時代。

それは、全人類が哲学者となり、
ケアと対話によって織りなされる、進化した古代ギリシャなのかもしれない。

この記事を書いた人

石森寛隆

株式会社 Make Care 代表取締役 CEO

石森 寛隆

Web プロデューサー / Web ディレクター / 起業家

ソフト・オン・デマンドでWeb事業責任者を務めた後、Web制作・アプリ開発会社を起業し10年経営。廃業・自己破産・生活保護を経験し、ザッパラス社長室で事業推進に携わる。その後、中野・濱𦚰とともに精神科訪問看護の事業に参画。2025年7月より株式会社Make CareのCEOとして訪問看護×テクノロジー×マーケティングの挑戦を続けている。

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