こんにちは。株式会社Make Careの代表取締役CEOであり、訪問看護ステーションくるみでマーケティングを担当している石森寛隆です。XではHEROと名乗っていますので、もしよろしければフォローください。
以前、こんなコラムを書いた。
【CEOコラム】Vol.040 AIがもたらす“スコレー”の時代〜進化した古代ギリシャへ〜
思想・発想としては同じなんだけれど、こんなことをふと思い立ってポストしてみたりもした。
“神田川”の歌詞のカップル(アベック⁉️)が普通に存在していた時代と比べれば、人々の暮らしは圧倒的に豊かになっているし、モノの質テクノロジーも進化してる。でも、果たして人々の幸福度はその進化率ほどに上昇しているのか。答えは否だと思う。我々は何のために進化し続けるのだろう。
— HERO(株式会社Make Care 代表取締役CEO) (@hero_houkan) September 25, 2025
モノの豊かさは「客観的な進化」だけど、幸福感は「主観的な実感」。
いくら最新家電やAIが生活を便利にしても、人間の心が求めているのは「つながり」や「安心」だったりする。
むしろ便利になった分だけ、孤独や比較意識が強まっているのかもしれない。
そんなことに思い至って、コラムで言語化してみることにした。
大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市全域対象
“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」
平日・土曜・祝日 9:00〜18:00
【日曜・お盆・年末年始休み】
※訪問は20時まで
対応させていただいております。
豊かさの罠とユニバース25の実験
この問いを考えるうえで、僕は「ユニバース25」と呼ばれるネズミの実験を思い出した。
1960年代、動物行動学者ジョン・カルフーンは、ネズミに食料も住居も十分に与えた環境、いわば「ネズミの理想郷」をつくった。
そこでは最初、個体数は順調に増加した。しかしある時点を境に、社会的な崩壊が始まる。攻撃性の増大、子育て放棄、ひきこもり、繁殖意欲の低下。
やがて群れは滅亡へと向かった。カルフーンはこの現象を「行動の沈黙」と呼んだ。
当時の記録によると、ネズミたちは初めこそ積極的に繁殖し、社会的な関係性を築いていたが、人口密度が上昇すると攻撃的な行動が増え、やがて「ビューティフル・ワンズ」と呼ばれる奇妙な存在が現れた。彼らは他者との関わりを避け、ただひたすら毛づくろいを繰り返し、食事と睡眠に没頭する。安全で快適な環境を与えられているにもかかわらず、社会的役割を放棄した存在である。結果として、繁殖は止まり、コミュニティ全体が崩壊していった。
この現象は、現代の僕たちが抱える問題と不気味なほど重なって見える。少子化の進行、孤独死の増加、ひきこもりや社会的不適応の拡大。物質的には満ち足りていても、人生の意味や社会とのつながりを失ったとき、人間もまた行動を停止し、未来を紡ぐ力を失ってしまうのではないか。ユニバース25は、豊かさが必ずしも幸福や繁栄に結びつかないことを冷酷に突きつけている。
ユニバース25実験については、岡田斗司夫がYouTubeで詳しく解説しているので、是非、観てみて欲しい。
古代ギリシャのスコレ〜余暇こそ文明の基盤〜
では、豊かさの中で人間が崩壊しないためには何が必要なのか。
そのヒントを、古代ギリシャの人々の生活に見出すことができる。
彼らは「スコレー」と呼ばれる余暇を重視した。
スコレーとは単なる暇ではなく、労働から解放された時間に、哲学や芸術、スポーツ、政治的議論に取り組むことを意味した。
今日の「スクール」という言葉の語源も、このスコレーに由来する。
アテネのアゴラには、市民が集まり、ソクラテスのような哲人が対話を通じて知を探究していた。
演劇祭では、人々が悲劇や喜劇を通して人間の本質に向き合い、共に涙し、笑った。
オリンピック競技は単なる娯楽ではなく、都市国家間の交流や誇りの表現であり、社会全体をつなぐ儀式だった。
つまり、古代ギリシャの人々は「余暇」を通じて自己を高め、共同体を強化し、文明の基盤を築いたのだ。
現代の僕たちはどうだろう。
仕事に追われ、効率や成果ばかりを求め、余暇を「無駄」と見なしがちだ。
しかし本当に必要なのは、古代ギリシャのように余暇を「生きる目的そのもの」として位置づけることではないか。
便利さや効率化の先にある時間を、いかに意味あるものとして活用するか。そこに人間の幸福の核心があるように思う。
AI時代における人間の役割 ― 問いを立てること
AIの進化は人類史における大転換点であると思う。
情報処理や文章生成において、AIはすでに人間を凌駕しつつある。知識の集積や分析において、人間がAIに勝つことは難しいだろう。
だが、それでも人間にしかできない営みがある。
それが「問いを立てること」だと思う。
AIはデータをもとに最適解を導くけれど、「何を問うか」を決めることはできない。
問いがなければ答えは存在しない。
だからこそ、人間は「なぜ」「何のために」といった根源的な問いを立てることをやめてはならない。
問いを通じて初めて、AIの答えは意味を持つ。
つまりAI時代における人間の役割は、答えを出すことから問いを生み出すことへとシフトするのではないだろうか。
哲学はこの点で再び重要性を増すだろう。
古代ギリシャの市民がアゴラで議論を重ねたように、僕たちも問いを立て、考え、対話し続けることで、自分自身と社会に意味を与えていくことができる。
人生とは究極の暇つぶしであり、その質を決めるのは問いの深さと広がりなのだ。
僕にとっての良質な暇つぶし「仕事と哲学」
ここで個人的な話をすれば、僕にとって良質な暇つぶしとは仕事であり、哲学である。
訪問看護の現場を経営者として支え、マーケティングを考え、スタッフや利用者の未来をどう守るかを常に問い続けること。
その営みは単なる労働を超えて、人生の意味を紡ぐ行為になっている。
また、哲学もまた僕の暇つぶしだ。日常の出来事を因数分解し、なぜ自分はこう感じるのか、何を優先すべきなのかを考える。
問いを立て、それに答えを模索する過程自体が、僕にとっての余暇であり、楽しみである。
こうして仕事と哲学は、僕の人生を「意味ある暇つぶし」として形づくっている。
人生は究極の暇つぶし「その質が幸福を決める」
結局、人生とは暇つぶしである。生まれてから死ぬまでの時間をどう使うか。その選択が人生の質を決める。
物質的豊かさや技術の進歩は、その暇つぶしを支える道具にすぎない。
大切なのは、その時間をどんな問いやつながりで満たすかだ。
ユニバース25が示したように、豊かさだけでは社会は崩壊する。
古代ギリシャが示したように、余暇こそが文明の基盤である。
そしてAI時代に生きる僕たちに必要なのは、問いを立て続けることだ。
僕は、仕事と哲学を通してその問いを探し続けたいと思う。
人生は究極の暇つぶし。
だからこそ、良質な暇つぶしを選び取ることが、幸福への唯一の道である。
あなたにとっての良質な暇つぶしは何だろうか。
その問いこそが、あなたの人生を形づくっていくのだと思う。
