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[中村エッセイ] 第5回 Mr.Childrenの新曲が「怖い」という話

中村エッセイ精神科訪問看護とは

 

僕は小学校に入学する前のまだ幼かった頃から今に至るまでずっとMr.Childrenが好きで、気がつけばかなりの時間とお金、情熱をこのロックバンドに費やしてきました。訪問看護ステーションくるみのみなさんとの出会いも、Mr.Childrenがきっかけです。

好きなミュージシャンはたくさんいますが、僕の音楽の原体験はやはりMr.Childrenに変わりはなく、何年経っても何歳になっても、これまでもこれからも常に揺るぎない存在だと思います。

単純に「お気に入りのミュージシャン」というより、人生の節目節目を一緒に歩んできた(僕が一方的にそう思っているだけですが)存在といっても過言ではない、僕にとって永遠の「ロックスター」なのです。

※僕はMr.Childrenを「ロックスター」だと思っていますが、同じように言う人にあまり会ったことがありません。the pillowsの山中さわおさんがMr.Childrenの曲をライブでカバーした際「ロックスターの友達の曲を」と言って演奏したことがあり、その言葉を聞いたときは深く深く感動して、思わずボロボロ涙がこぼれました(これは余談)。

 

大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市全域対象

“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」

06-6105-1756 06-6105-1756

平日・土曜・祝日 9:00〜18:00 
【日曜・お盆・年末年始休み】

※訪問は20時まで
対応させていただいております。

 

僕が初めてMr.Childrenの曲を耳にしたのは5歳の頃で、その瞬間の記憶は鮮明に覚えており、実家でたまたま流れていたテレビから聞こえてきた「Tomorrow never knows」でした。

まだ20代前半だった桜井和寿さんのあの独特の粘っこい歌声(初めて聞いた時は「こわい声」と感じた)が耳の奥の方に貼り付いて離れなくなったあの夜から、僕の生活には当たり前にMr.Childrenが在り続けることとなりました。

それからというもの、朝目覚めたら一番最初にすることが新聞のテレビ欄に「ミスチル」というワードがないか片っ端から確認することになり、ラジオは常に流しっぱなしにしてまだ聞いたことのない曲が流れるタイミングをひたすら待ち続けること(録音ボタンを押し誤った時の絶望といったらもう)が習慣となりました。

そんな得体の知れぬ下がらぬ熱を後押ししてくれていたのかなんなのか、母も割と僕の興味・関心の高さに協力的でいてくれて、テレビの歌番組を録画しておいてくれたり、新しく発売するCDを買ってきてくれたり。

そんな流れがあって、とある日ギターという楽器の名前すらまだ知らなかった僕は「ミスチルが弾いているあの楽器をやってみたい」とぽろっと言いながら弾き真似などしてみたら、母によれば「体が小さかったから」という理由で、ギターではなくピアノを習うこととなった、そういう経緯があります。

 

 

それから、徐々にMr.Childrenのメンバー4人やプロデューサーである小林武史さんが影響を受けたと発言した音楽はしらみつぶしに聞いていかなければ気がすまないようになり、これが音楽への好奇心をさらに大きく広げてくれました。つまり、僕の中の音楽の基準はいつもどこかでMr.Childrenを通して形づくられてきたのだということです。文字通りMr.Childrenはあらゆる音楽の「教科書」であり、それを本気で履修してきたから現在の僕が在る、ということです。

Mr.Childrenはおよそ2〜3年周期でアルバムを発表します。僕にとっては物心ついたときから今日までそれがずっと「普通」のことでした。アルバムが出て、ツアーがあって、たまにテレビに出てくれて、なにも音沙汰ない期間があって、突然新曲が発表されてその後またアルバムが出て。そんなサイクルがまるで季節のように繰り返されてきました。

僕は、Mr.Childrenのアルバムを買った日について、かなり詳細なことまで覚えています。どこのお店で買ったのか、買いに行く道の途中で何があったのか、初めて聴いた場所はどこだったのか、誰と聴いたのか、その時どんな気持ちになったのか。そういうことが、まるで真空パックされているかのように、今でもはっきりと思い出せるのです。

今はサブスクリプションで音楽を聴くのが当たり前の時代になりましたが、CDを買いに行くという行為のあの高揚感はいかんせん何にも変えがたく、僕が今でもわざわざ円盤を購入する一つの背景でもあります(そもそも山下達郎さんのように「サブスク配信はしない」と頑なな姿勢を見せるミュージシャンも一定数存在するという理由もありますが)。

 

 

僕は今、37歳になりました。5歳から37歳までの32年間、メンバーチェンジもなくバンドが続いている。休止期間はあれど極端に長期間活動が途切れることもなく、新しい作品を出し続けている。改めて考えてみると、これは「普通」のことではなく「奇跡」のようなことなのです。特にここ最近は、小学生の頃から好きだったバンドが解散したり活動休止したり、憧れていたミュージシャンが大病を患ったり亡くなったりして、Mr.Childrenに関してもいつまでも当たり前に存在し続けるわけではないのだということにようやく気付き始めました。

僕にとってMr.Childrenは、いつも「今が全盛期」のバンドです。過去のヒット曲によりかかることなく、その時々の自分たちの現在を作品として差し出してくる。特に近年のオルタナティブな姿勢は、30年以上活動しているバンドとは到底思えないほど。過去でもなく現状維持でもなく、あくまで現在形であり続けるところが僕には何より眩しく見えます。

ここ数年、桜井和寿さんの書く曲(特に2020年のアルバム『SOUNDTRACKS』以降)には、どこかに「死の匂い」のようなものを感じるようになりました。もちろん、露骨に死を歌っているわけではなく、ただ歌詞やメロディの奥に明らかに時間の有限性のようなものが滲み出てきています。考えてみればそれは当然のことかもしれません。僕が年齢を重ねたのと同じように、Mr.Childrenのメンバーも歳を重ねています。永遠に続くものなど本当はどこにもない。だからこそ、近年はアルバムが発売されるたび、ふとこんなことを考えるようになりました。

「この先、自分はあと何回ミスチルの新しいアルバムを聴くことができるんだろう?」

僕はずっと、Mr.Childrenの新しいアルバムが聴けることを楽しみにしながら生きてきました。子どもの頃からずっと、次のアルバムを待つワクワクをどこかに抱えながら時間を過ごしてきたのです。けれども現在、新しいアルバムを聴くということは、同時に今後残されたその楽しみの機会がまた一つ減るということでもあります。今月、新しく出る一枚のアルバム『産声』を聴いてしまったら、僕の人生の至上の楽しみの一つがまた減ってしまうことにもなるのです。そんなことを考えると、嬉しいはずなのに怖いのです。僕の人生からMr.Childrenのニューアルバムを買いにいく風景が消えないでほしい、と思ってしまうのです。

Mr.Childrenがもし活動を終える日が来たとしたら、その後はきっと未発表音源や別テイク、ライブ音源など、The Beatlesやローザ・ルクセンブルグなどといった伝説的なバンドのように、いろいろな音源が発表されるのだと思います。けれど僕にとってMr.Childrenの一番の魅力は、そういうものとは違う。とにかく「新曲」なのです。今この時代、この瞬間にしか作ることのできないであろう曲が僕の世界に現れること。僕が待っているのは、いつもその瞬間です。だから、Mr.Childrenはやっぱり「新曲」じゃなきゃだめなのです。

ついこの間までそんなことを考えながら一人勝手に大きな恐怖感に苛まれていました。

 

 

先日、アルバムの発売に先行して「Again」「Saturday」「産声」三曲の配信が開始されました。軽い目眩のような感覚を覚えながらもこの三曲を繰り返し繰り返し聴いているうちに、僕は自分がなぜこれほどまでに「新曲」に執着していたのか、なんとなく、まるで導かれるようにわかってきたような気がしました。僕は未来のMr.Childrenを欲しがっていたのではなく「今、同じ時間を生きているMr.Children」をいつも確かめたかったのです。

特にポピュラーミュージックの世界では、新しい曲が発表された瞬間から、それはすぐに消費され、過去の棚へ押し込まれていく運命にあるのだと思います。かつて胸を震わせた最新曲も、数週間後にはもう思い出の側に回ってしまう。だからこそ、本当に現在と呼べるのは「今鳴っている音」だけなのかもしれません。「新曲」というのは、過去でも未来でもないこの瞬間にしか存在しない現在そのものです。Mr.Childrenが今この時代に音を鳴らしているということは、僕もまた今ここで確かに生きているということだからです。

未来のことを考えるとどうしても怖くなります。この楽しみや喜びが、いつか終わってしまうこと。もう二度と新しい音に出会えなくなる日が来ること。けれど同時に、こうも思うのです。もし回数が限られているのだとしても、今こうして次のアルバムを待っているということ自体が、ずっと僕を僕としてつなぎ止めてきたのではないか、と。

「Again」「Saturday」「産声」は、それぞれ違う表情を持ちながら、どこかで共通して「今」という時間の輪郭を静かに浮かび上がらせているように感じました。派手な宣言をするでもなく、過去を振り返るでもなく、ただ現在に立ってちゃんと呼吸をしているような音と言葉。

明日がどうなるかは誰にもわからないし、続くかどうかもわからない。昔お世話になった看護師の先輩にこう言われたことがあります。「あなたも私も、終末期の患者さんも、明日があるという保証はないんだよ」と。それでも、今はまだここにいて、Mr.Childrenの音楽があり、時間が流れていて、何かが生まれ続けている。その事実だけが確かに存在しています。だから僕は、これからもMr.Childrenの新曲を待ち続けるのだと思います。それは音楽を待っているというより、まだ終わっていない時間を確かめる行為なのかもしれません。

 

 

この記事を書いた人

中村義幸

中村 義幸

フリーランス看護師 / MIRAI訪問看護ステーション 非常勤取締役

芸術系の大学で音楽を学んだあと、看護の道へ進む。精神科急性期病棟および精神科訪問看護での勤務を経て、現在は大阪を拠点にフリーランスの看護師として、訪問看護ステーションで働く方々に向けた精神科に関する教育支援などを中心に活動している。あわせて、東京のMIRAI訪問看護ステーションにて非常勤取締役を務めている。

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