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【CEOエッセイ】Vol.025 「ベーシック・ライフライン構想」

2025.05.05 HEROさんシリーズくるみの社長エッセイ

こんにちは。株式会社Make CareのCEOであり、訪問看護ステーションくるみでマーケティングを担当している石森寛隆です。
XではHEROと名乗っていますので、もしよろしければフォローください。

さて、今日は真面目な話。ベーシックインカムならぬ「ベーシック・ライフライン構想」について語ってみようと思う。

今朝方、こんなポストをした。

この「ベーシック・ライフライン構想」について、詳細を語ってみようと思う。

はじめに──「生きるに値する」と思える制度を

僕は生活保護を受けたことがある。自己破産も経験した。
他人からすれば「転落」や「挫折」に見えるかもしれないけど、僕にとってそれは、“本当の意味で生きなおす”ための時間だった。
お金がないことよりも、「社会から切り離された感覚」こそが何よりも苦しかった。
“自分には、生きている価値がないのではないか”と毎日問い続けるような日々。
そんな絶望の中で、僕を救ったのは、人でも金でもなく、「生活そのもの」がかろうじて保障されていたという事実だった。

だけど、その保障が“ギリギリ”であることに、僕はずっと引っかかっていた。
どうして「生き延びること」にここまで多くの壁があるのか。
どうして“助けて”と言うことが、こんなにも恥ずかしいのか。
申請のハードル、世間の偏見、役所の冷たさ、現金主義ゆえの管理の難しさ。
日本の生活保護制度は、「保護される側」に過度な負担を強いている。

もしも僕たちが、“生きること”をもっと簡単に、もっと自然に肯定できる仕組みを作れたら──
そう考えて生まれたのが、この「ベーシック・ライフライン構想」だ。

ベーシックインカムという言葉がよく使われる。
でも、僕が提唱したいのは、“金を配る”ことじゃない。
暮らしそのものを、社会が直接守る仕組みだ。
電気・ガス・水道・通信といったインフラ。
家賃や食事、移動手段、最低限の医療と衣類。
それらを現物支給あるいは電子マネーと連携させて、マイナンバーと紐づけた統合的な制度に再構築する。
それが「ベーシック・ライフライン」の中核になる。

そしてこの構想は、まず「生活保護世帯」から段階的に導入されるべきだと僕は考えている。
理由は単純だ。今いちばん制度の矛盾に晒され、困難と隣り合わせにいるのが、そこだからだ。

ただし、これは「生活保護限定」の話ではない。
これは将来的に、全国民に波及すべき「基盤構想」だ。
つまり、“生活保護制度を再定義する”ことから始めて、ゆくゆくはすべての人が、たとえ収入がゼロになっても“生活の土台だけは国家が保障する”というモデルを目指す。
それは社会主義ではなく、“現代のインフラ国家”としての再設計である。

これは理想論ではない。
この国の制度を、生きることに優しいものへと更新するための現実的提案だ。
ここから先、章を追いながら、実際にどのような制度設計が可能かを丁寧に書き記していきたい。

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ベーシック・ライフライン構想とは何か

――現金ではなく、“暮らし”そのものを支給する時代へ

「ベーシックインカム」という言葉が広く知られるようになって久しい。
誰にでも一定の現金を毎月給付するという仕組みは、一見シンプルで合理的に見える。
だが、果たして“現金”だけで人は生きていけるだろうか?
今の日本において、「お金を配ったからあとは自己責任」と言い切れるほど、インフラも住宅環境もフラットだとは到底思えない。

僕が考える「ベーシック・ライフライン構想」は、現金ではなく“生活そのもの”を直接保障するという発想だ。
具体的には、以下の5つの領域を対象にする:
① ライフライン(電気・ガス・水道)
② 通信環境(携帯1回線+家庭用インターネット)
③ 住まい(公営住宅または借り上げ物件)
④ 食(宅食支援 or フードバウチャー)
⑤ 最低限の移動・医療・衣料支援(交通補助・医療扶助・電子マネー)

これらを「現物支給」「指定業者への直接補助」「電子マネーでの補填」という複数の手段を組み合わせて提供する。
言い換えれば、「現金は最終手段」であり、まず“人が生きるのに必要な要素”を国家が直接担保する設計になっている。

この方式には、大きな思想的転換がある。
それは、「自己責任の緩和」であり、「制度による信頼の再構築」だ。
現金給付は柔軟性がある反面、「何に使ったか分からない」という不信や、過剰な管理意識を生む。
一方、ライフラインや住まい、食事といった“明確な用途”に国が直接支出することで、支援する側・される側双方に安心感が生まれる。

もちろん、僕がこの構想を考える上で意識しているのは、「生活保護受給者」の支援にとどまらない。
むしろこれは、将来的には全国民に波及すべき“生活インフラの再設計”]だ。
たとえば失業したとき、病気になったとき、災害に見舞われたとき。
“収入がゼロになっても、暮らしの土台だけは絶対に崩れない”という構造が、どれほど大きな安心と自立への推進力をもたらすか。

さらに、マイナンバーと紐づけた支援の一元化により、行政の管理コストも劇的に下げられる。
利用実績に基づいた支援調整、AIによる異常利用の検出、電子マネーでの補填方式により、無駄と不正を抑えながら「本当に必要な人に、必要な支援が届く社会」を実現できる。

この構想の根っこには、ただひとつの願いがある。
「生きてていい」と言える社会をつくりたい。
生活に不安がないからこそ、人は働けるし、挑戦できる。
ベーシック・ライフライン構想は、“安心から始まる経済”を生むためのインフラ革命なのだ。

まず生活保護から──“先行モデル”の合理性

「ベーシック・ライフライン構想」は、将来的に全国民を対象とする“社会保障の再設計”だ。
ただし、構想をいきなり全国展開するのは非現実的だし、制度としての定着には“段階導入”が不可欠だ。
その第一歩として、生活保護世帯をモデルに導入することは極めて合理的で、かつ切実な選択だと僕は考えている。

理由は大きく分けて3つある。

① 「最も制度疲労している層」に向けた救済

まず、生活保護受給者は、現行の社会保障制度の“最終ライン”にいる存在だ。
つまり、すでに失業保険も、年金も、貯金も尽きて、誰にも頼れず、行政の直接支援に頼っている人たち。
それなのに、現金を一括支給され、そこから「生活全般を自分でやりくりせよ」と求められている。

家賃の支払い、光熱費、食費、通信、医療、移動……それらの“予算配分”を、余裕のない暮らしの中で自己管理できる人がどれほどいるだろうか。
しかも不慣れな手続きや、役所とのやりとりも並行して行わなければならない。
多くの人が、実は“受ける権利があっても途中で諦めている”。これが現実だ。

② 既存制度と親和性が高い

生活保護は、すでに自治体ごとに支給対象が明確に管理されており、マイナンバーとの紐付けが進んでいる分野でもある。
福祉事務所にはケースワーカーが常駐し、給付実績や世帯構成の把握もされている。

つまり、「生活に必要な要素を国が直接支給する」というモデルを、比較的安全かつ正確に試行できるフィールドが、生活保護世帯なのだ。

たとえば以下のような設計が可能だ:

こうした形で生活保障を“現物支給+一部電子補填”に切り替えることで、支援が「見える化」され、利用実態に応じた柔軟な設計も可能になる。

③ 行政の負担軽減と不正抑制

生活保護の現場では、ケースワーカー1人が80~100世帯を担当していることも珍しくない。
その中で「金の使い方が適切か」をすべて把握するのは、そもそも無理がある。

だが、支援をライフライン単位で支給すれば、「お金を渡す」よりも「必要な支援を必要な形で届ける」ことに専念できる。
それは結果として、不正利用の抑制にもつながり、監査業務の効率化にも貢献する。

生活保護受給者は、ただ“援助される対象”ではない。
この国の制度の最前線にいる、制度の歪みを一身に背負っている存在だ。
だからこそ、ここに新しい社会保障モデルを適用することは、「テスト」でも「特例」でもない。
むしろ、本来の社会保障の理念を一番ピュアに、最もリアルに体現する行為なのだ。

現行制度の限界と分断

――なぜ人は「助けて」と言えなくなるのか

「生活保護って、最終手段だよね」「本当に困ってる人しか使っちゃいけない」。
そういう空気が、僕らの社会には確かにある。
制度そのものが悪いわけじゃない。
でもその“運用”と“まなざし”が、知らず知らずのうちに人を分断してきた。

生活保護の申請件数は年々減っている。
でも、それは生活困窮者が減っているからではない。
「どうせ断られる」「申請が通るまでの手続きが複雑すぎる」「恥ずかしい」という思いから、本来、使うべき人たちが制度の門前で立ちすくんでいるのだ。

生活保護には、少なからず“スティグマ”がある。
「生活保護=怠け者」「税金で食ってる」という誤解が根強く、テレビやネットでも不正受給の話ばかりが取り上げられる。
その結果、制度を必要としている人たち自身が、自分の困窮を“恥”だと内面化してしまう。

僕自身も、かつてそうだった。
手持ちの現金が尽き、電気も水道も止まり、明日の食事にすら困っていた。
けれど、それでも生活保護の申請には踏み切れなかった。
「まだ自分よりひどい人がいる」「俺はここまで落ちたくない」と、
誰にも頼れず、誰にも頼らないという孤独を選んでいた。

制度を申請するには、「自分は無力です」と書類で証明しなければならない。
貯金がないこと、仕事がないこと、病気があること、人間関係が崩れていること。
そうした“マイナスの証明”が、受給の条件になる。

でも、それって本当におかしくないだろうか?
人間が制度に「助けて」と言うとき、必要なのは“信頼”だ。
「この社会は、自分を見捨てない」という確信だ。
だけど現行の制度設計は、その信頼を前提としない。
むしろ疑ってかかる。チェックリストで人を選び、要件でふるいにかける。

そしてその一方で、行政の側も疲弊している。
生活保護のケースワーカーは、膨大な書類と訪問と面談に追われている。
彼らだって、本当は助けたい。
でも、「不正利用を見逃すな」「自立支援につなげろ」といった制度上のミッションに縛られ、
人間的な支援よりも、“要件管理”に忙殺されている。

このように、支援を必要とする側も、支援を届ける側も、制度の不完全さに押しつぶされそうになっている。
「助けて」が届かず、「助ける」も届かない。
それが、いまの福祉の現場に横たわる“静かな断絶”だ。

「ベーシック・ライフライン構想」が目指すのは、
こうした分断の構造を“構造ごと変える”ことだ。

・現物での生活インフラ提供により、現金のやりとりを最小化し
・支援の“用途”を明確にすることで、受ける側の負担と羞恥を軽減し
・行政側は支出の透明性と効率性を担保できる。

そして何より、これは「人は誰でも支えられていい」という価値観の再提示なのだ。
支援を受けることは恥ではない。
むしろ、社会全体のインフラとして、誰もが“一時的に使っていい”制度があっていい。
それが社会の成熟というものだ。

生活保護 × ベーシック・ライフライン設計図

――「現物支給+電子補填」のリアルなかたち

ここでは、「生活保護世帯に対するベーシック・ライフライン支給モデル」を具体的に設計してみる。
キーワードは「現金ではなく、生活インフラの直接保障」。
あくまで試案だが、これを“設計図”として眺めることで、制度の可能性と課題が可視化される。

■ 支援設計の一覧表(生活保護世帯向けモデル)

あくまで試案だが、これを“設計図”として眺めることで、制度の可能性と課題が可視化される。

■ 解説:現物支給と電子補填の思想

【1】ライフライン(電・ガ・水)

生活維持に不可欠なインフラは、自治体とインフラ企業の契約によって“家庭単位で支給”される。
浪費や不正利用を防ぐため、基本料金+定量支給とし、上限を超えた部分は自己負担。
節電や節水にはインセンティブを設けて、行動変容も促す。

【2】通信(携帯・ネット)

「通信は贅沢」ではなく、現代社会における“社会参加の土台”。
1人1回線の携帯と、家庭用ネット1契約分を“国家通信インフラ”として補助。
低速無制限プランをベースに、フィルタリングやセキュリティ機能も内包。

【3】住居

ホームレスやネカフェ難民状態から脱するには、まず“安定した住まい”が必要。
URや民間物件の借上げ、公営住宅の拡充によって住居を行政が確保し、居住者とは原則直接契約を結ばない。
これにより、家主側の拒否反応も減らせる。

【4】食事

食の保障は栄養・衛生だけでなく、“孤食の解消”にも寄与する。
宅食形式(月60食=1日2食×1ヶ月平日)と、地域のスーパー・飲食店で使える「フードバウチャー」の選択制にすることで、柔軟性も保つ。

【5】医療

既存の医療扶助制度は維持。ただし、
・強制ジェネリック
・不要な受診の抑制
・歯科・精神科・予防分野のアクセス拡充
などにより「本当に必要な医療」が受けられる制度へシフト。

【6】移動

就職活動・通院・行政手続き等に不可欠な移動支援。
ICカードとマイナンバーを連携し、利用実績に応じた月額補助を自動算出。
異常な利用はAIが検知し、ケースワーカーが確認する。

【7】衣料・日用品など

衣・趣味・衛生用品といった“最低限の消費”は現金相当で支援する。
ただし、月額3万円の電子マネーを“補填式”で支給。
→ 使わなければ増えない/浪費はしにくい/「必要なときにちゃんと使える」設計。

この設計は、行政・利用者・社会全体にとって“三方良し”の制度になりうる。
見える支援、届く生活、支える国家。それが「ベーシック・ライフライン」の姿だ。

効果と期待される社会変容

――「支えられている」という安心が、人を動かす

制度が変わると、社会の“空気”が変わる。
ベーシック・ライフライン構想は、ただ生活を保障する仕組みではなく、社会全体の「まなざし」を転換させる構想でもある。
その導入によって、どんな効果が期待されるのかを考えてみたい。

1.スティグマの軽減と「恥の解消」

生活保護を申請することには、いまでも大きなスティグマがある。
「怠けてると思われる」「周囲に知られたくない」――そうした心理的バリアが、“必要な人ほど制度にアクセスできない”という矛盾を生んでいる。

だが、ベーシック・ライフライン構想が導入されれば、支援は現物を通じて淡々と提供される。
お金をもらうという“恩恵的支援”から、「生活インフラとしての供給」へと変わる。
「制度を使ってる」感覚よりも、「社会の一部として暮らしている」感覚が強くなる。
これは、個人の尊厳を守る大きな転換点だ。

2.就労や社会参加への動機付け

「安心があるからこそ、人は動ける」――これは訪問看護の現場でも強く感じることだ。
「家がある」「食事が届く」「電気がつく」――そうした基盤があるからこそ、
初めて人は「明日、働きに出よう」「学校に行こう」「誰かに会おう」と思える。

現金支給ではなく、生活インフラを直接保障することで、生存の不安を取り除き、「その先の行動」を後押しする。
ベーシック・ライフライン構想は、決して“依存を生む”制度ではない。
むしろ、“自立に向かうステージ”を整える装置だ。

3.行政業務の効率化と再分配の最適化

ケースワーカーの業務は、本来「生活の支援」であるべきなのに、
現実には「監視」と「書類処理」に多くの時間を割かれている。
これは福祉行政にとっても非効率の極みだ。

ベーシック・ライフライン構想では、支援内容が可視化され、
家賃・通信・食費などの管理は原則「自治体と事業者間の契約」で完結する。
これにより、ケースワーカーは“人と向き合う時間”を取り戻すことができる。

また、支出のトラッキングが電子化・自動化されれば、
“見えない浪費”や“二重取り”も減少し、再分配の精度が高まる。

4.社会的孤立の防止と“支え合い”の再定義

家があり、食があり、通信手段があり、誰かとつながれる。
それだけで、人は“孤立しない”。
孤独というのは、単に「一人でいること」ではなく、「誰にも頼れない」と思うことから生まれる。

ベーシック・ライフライン構想は、国家が“孤立しない仕組み”を物理的に作るものだ。
制度そのものが、「困っても大丈夫。ちゃんと支えがあるよ」と伝えてくれる。
それは“支え合い”の新しいかたちでもある。

5.国家と個人の関係性のアップデート

この構想の根底には、「国家は個人の生存を直接支える主体であるべきだ」という思想がある。
税金を集めて、現金で配るのではなく、
国家というプラットフォームが“暮らし”を支えることに予算を使う。

すると、国民は「税金を払ってる意味」を実感できる。
「何かあっても、この国が守ってくれる」という安心感が生まれ、国家への信頼も育つ。

この構想は、福祉を“弱者支援”から“公共インフラ”に変える挑戦でもあるのだ。

財源設計と制度統合の方向性

――“バラマキ”ではない、“統合”による再構築へ

壮大な制度構想には、いつも「財源はどうするのか?」という問いがつきまとう。
この「ベーシック・ライフライン構想」も例外ではない。
しかし、これは単なる“給付拡大”ではない。
むしろ、既存制度のバラバラな支出をひとつに束ねる、再構築の提案だ。

1.既存制度の再編が最大の財源

まず、現行の主要な社会保障支出を見てみよう(2023年度ベース概算):

これらを合算するだけでも、20兆円超の国費と、それ以上の社会保険料支出が存在する。
このうち、制度が重複・分断している領域を統合することで、重複補助・非効率な管理コストを削減できる。

2.年金の“現物代替”と高齢層支援の再構築

ベーシック・ライフライン構想の導入により、「現金としての年金」は段階的に縮小・再構築が可能になる。
具体的には:
・最低生活部分(家賃・食・通信・インフラ)を国が現物支給
・年金は“生活補助”ではなく“上乗せ消費”として再設計
・高齢者も“インフラと食が保障された上で”生活する社会へ

この流れが進めば、年金制度の持続不可能性を補う大きな支柱になる。
将来的には、「年金制度そのものの統廃合」すら視野に入る。

3.社会保険料の使途再設計と“新・会計モデル”の構築

2023年度の社会保険料収入は約75兆円。
だが、その配分は年金(約50兆円)、医療(約20兆円)、介護・雇用などに偏っている。
しかも、制度ごとに“財源と会計が完全に分離”されており、互換性がない。

ベーシック・ライフライン構想では、これを「支給目的ベース」の会計単位に再構成する。
たとえば:

“目的別に一本化された支出設計”によって、国民への説明責任と財政の見通しが格段に向上する。

4.消費税増税は避けられないが、「実感できる対価」がある

現時点での試算では、「ベーシック・ライフライン構想」を全国民に拡張した場合、年間約120〜150兆円の支出が見込まれる。
これは現在の社会保障費とほぼ同等、もしくはやや上回る水準だ。

ただし、既存制度の整理・年金の現物化・医療費の合理化によって、約60〜70兆円の“再配置可能財源”が確保できる見通しもある。
不足する部分については、以下のような補填手段が検討できる:
・消費税率の引き上げ(例:15〜20%、段階的)
・社会保障目的税(所得課税との併用)
・富裕層課税(キャピタルゲインや資産課税の再設計)
・累進電子決済課税(所得別で電子マネー還元率を調整)

ただし、単なる増税ではなく、「この負担が暮らしの安全につながっている」という実感の設計が極めて重要になる。

5.“バラマキ”から“土台化”へ――公共哲学の転換

最も大切なのは、この構想が「新たなバラマキ」ではないという点だ。
ライフライン、食、住、移動、医療という“生存のための基盤”に集中投資し、それ以外は民間に任せるという役割分担の再設計。
これはむしろ、「財政のメリハリ」と「国家支出の納得性」を強化することになる。

ベーシック・ライフラインの“全国展開”構想

――生活保護だけで終わらせない、「国家の土台」の話

ここまで紹介してきたベーシック・ライフライン構想は、まず生活保護世帯を対象に試行される「先行モデル」だ。
だが、これは決して“限定支援”の提案ではない。
むしろ僕は、この構想を全国民の生活インフラに波及させるべきだと本気で思っている。

なぜなら、社会的困窮は“階層の話”ではなく、“タイミングの問題”だからだ。

事故、病気、離職、介護、離婚、災害――
人生は、誰にとっても「思いがけない下り坂」と隣り合わせだ。
今たまたま働けていても、健康でいても、何の保障もない社会は、いつか誰かを見捨てる。
そういう世界に、僕はもう戻りたくない。

「誰でも、いつでも、戻れる場所」としての国家

この構想の本質は、国家が“生活の最後の砦”ではなく“最初の土台”を提供するという逆転発想にある。
生活が苦しくなってから助けるのではなく、
最初から最低限のライフラインを全員に保障しておけば、
多くの人が“転ばずに済む”し、転んでもすぐ立ち上がれる。

働ける人は働くし、成功する人はもっと稼げばいい。
でも、すべての人が「暮らしの土台だけは絶対にある」とわかっている社会の方が、
安心して挑戦できるし、失敗してもやり直せる。

この“安心の土台”を国家が提供することは、
“支配”や“管理”ではなく、“信頼”と“尊重”の関係構築だと僕は思う。

展開のステップ:対象の段階拡張

全国展開といっても、いきなり一斉に導入するわけにはいかない。
だからこそ、段階的・優先的に拡張していくモデルが現実的だ。

このように、社会的弱者への支援から始め、次第に「全国民の暮らしを下支えする仕組み」へと拡張する。
最終的には、全員に“最低限の暮らし”が提供される社会インフラとなる。

「社会保障」から「生活インフラ」へ

今の社会保障制度は、「困った人だけが使う制度」として切り分けられすぎている。
それが結果として、スティグマを生み、制度を複雑化させ、誰も得をしない分断をつくってしまっている。

ベーシック・ライフライン構想は、これを「インフラ」に変える。
道路や電気や水道と同じように、暮らしのベースとしてあたりまえに存在する仕組みへ。
そうなれば、もう「支援を受けている」なんて感覚はなくなる。
それは単に、「この国に暮らしているから使える」ものになる。

「生存の再分配」から「挑戦のための装置」へ

この構想は、決して“生かすだけ”の制度じゃない。
むしろ、“活かすため”の制度だ。

生活が安定すれば、働こうと思える。
挑戦しようと思える。
家庭を持ちたいと思える。
学び直そう、旅に出よう、誰かと関わろう――そういう前向きな選択が、“生活の不安”という足かせなしに選べるようになる。

生存保障を超えて、自己実現の土台として機能する制度。
それが、ベーシック・ライフラインの本当の目指す場所だ。

思想としての社会保障

――「生きてていい」と言える社会へ

僕がこの構想を考え始めたのは、過去の挫折や、生活が崩れたあの瞬間の感覚が、ずっと心に残っていたからだ。
お金がないことの不安。
支払いの督促に追われ、冷蔵庫が空っぽで、電気が止まり、誰にも言えないことの孤独。
そんな日々のなかで、一番つらかったのは「自分は、この社会に居場所がないのかもしれない」と思ったことだった。

社会保障という言葉は、どこか抽象的で、お役所的で、遠いものに感じられる。
でも、僕にとってそれは「誰かが、君を見捨てないって言ってくれるもの」であってほしいと思っている。
“生かす”ことは、“見捨てない”ことだ。
それができるのは、僕らが“社会”という言葉でつながっているからだ。

ベーシック・ライフライン構想は、単に制度を変える提案ではない。
これは、“社会のあり方”そのものを問い直す提案だ。

人間を「稼げるかどうか」で線引きするのか。
生産性や納税能力の有無で価値を測るのか。
そうじゃないだろう、と思う。
人は、ただ“人”であるだけで、大切にされていい。
その当たり前が、なぜか今の社会では通りにくくなっている。

だからこそ、僕はこう言いたい。
「生きてていい」と、国が最初に言ってやればいい。

あなたが病気になっても。
仕事を失っても。
誰にも頼れなくなっても。
それでも、最低限の暮らしは国が支える。
あなたがもう一度、自分で歩き出すまでのあいだ、
ここにいていいんだと伝える。
それが、社会保障の本来の姿だと思う。

この構想が実現すれば、きっと社会はもっと優しくなる。
人は「落ちないために必死になる」んじゃなくて、
「安心して挑戦できる」社会を作るほうに力を使えるようになる。

誰かの不安や苦しみが、自分の生活に直結しないとしても、
「そこに支えがある」と知っているだけで、
社会全体の空気が、少しずつ変わっていく。

「この国で生きることは、悪くない」
そう思える人がひとりでも増えたなら、
それだけで、この構想には意味がある。

制度は冷たい。
でも、制度の向こうにある人間の声は、温かくて、切実だ。
僕はその声に、制度のほうを近づけたい。
“支える仕組み”は、人の手の代わりになれる。

社会保障とは、「お前は独りじゃない」と国家が言ってやるための言葉だ。
ベーシック・ライフラインは、僕にとってその“翻訳”だ。

そしてそれが、この国で生きていくすべての人への、
ほんの小さな“約束”になればいいと、心から願っている。

 

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