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【専務エッセイ】Vol.72 過去に囚われることで起こるこころへの影響 〜Mr.Children のような世界観で話してみよう〜

くるみの社長エッセイハムさんシリーズ精神科訪問看護とは

大阪市全域を訪問区域とする『訪問看護ステーションくるみ』の代表、濱脇直行が綴る『専務エッセイ』第72弾!

 

どうもこんにちは。

今日は『過去に囚われることで起こるこころへの影響 〜Mr.Children のような世界観で話してみよう〜』というタイトルをつけてみました。

少し小説チックに、
Mr.Childrenの世界観をほんの少し入れながら
お話しできたらいいなと思いついたので、
コラムにすることにしました。

季節は春のはずですが、朝はまだ肌寒い日もありますね。
車に乗ると暖房を入れるか迷って、結局入れてしまいます。

訪問先へ向かう道も、
日差しはあるのに風が冷たくて、
思わず肩に力が入ることがあります。

専務の濱脇です。

 

Mr.Childrenの世界観は、
駅や車窓、部屋の沈黙のような
日常の小さな場面から出発して、
そこから一気に
「生きる意味」や「愛の責任」へと
跳ぶ視線にあると私は考えています。

嬉しさと怖さ、優しさと痛みのような矛盾を
きれいに整理できないまま抱えつつ、
それでも前へ進む手触りに変えていく。

歌詞は言い切らず余白を残していて、
聴き手が自分の物語として
差し替えられる設計になっているように感じます。

音楽面でも、
メロディの起伏とバンドの骨太さに
ストリングスや鍵盤で景色を足し、
感情の動きを立体にしている。
そんな印象を持っています。

今日は、そんなMr.Childrenの世界観とともに、
移動の途中にふいに差し込む
「過去」の話をしてみようと思います。

 

大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市全域対象

“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」

06-6105-1756 06-6105-1756

平日・土曜・祝日 9:00〜18:00 
【日曜・お盆・年末年始休み】

※訪問は20時まで
対応させていただいております。

 

過去は、意外と手触りがある

過去って、意外と手触りがありますよね。

写真のように平面ではなく、
匂いや温度まで連れてくることがあります。

信号待ちでウインカーの音が鳴っている瞬間。
テレビの音量を一段下げた瞬間。

そういう何気ない動作がスイッチになります。

気づいたら
昔の場面が車内に同乗しているみたいに
静かに座っていることがあります。

皆さんは、そんな経験はありませんか。

 

振り返ること自体は悪いことではありません。

訪問看護では特に、
昨日の経験が今日の判断に直結することが多いと私は思っています。

「あの沈黙は待って正解でした」
「あの一言は急ぎすぎました」

そんなふうに、
過去は仕事道具の一部でもあります。

ちゃんと手入れをしていれば頼りになりますし、
放っておくと錆びて引っかかることもあります。

ただ、問題は
「振り返る」から「住み着く」に変わる瞬間
なのだと思います。

 

反省が「決めつけ」に変わるとき

後悔は最初、小さな反省として始まります。

「もう少し違う声かけができたかもしれません」
「気づけたはずでした」

次に活かすための反省は、とても大切です。

けれど、
心が弱っていると反省がいつの間にか
“決めつけ”に変わってしまいます。

「あのとき失敗しました」
ではなく
「自分はいつも失敗します」

出来事の話が、人格の判定にすり替わってしまうのです。

 

こうなると、精神面がじわじわと悲鳴を上げ始めます。

派手に落ち込むのではなく、
毎日少しずつ自己評価が削れていく。

朝、車に乗り込んでエンジンをかける前に
ため息が一つ、二つと増えていきます。

訪問と訪問の間にコンビニでコーヒーを買っても
味が薄く感じておいしくなかったり、
そもそも何かを飲んだり食べたりする気が起きなくなったりする。

記録の画面を開いても手が止まり、
カーソルだけが点滅します。

口では「大丈夫です」と言いながら、
胸の奥の電池が静かに減っていく。

そんな状態になってしまうこともあります。

 

過去に囚われると、未来の行動が鈍る

次に起こるのが、未来への行動が鈍ることです。

過去に囚われていると、未来が「可能性」ではなく
「また同じことになるかもしれない」と見えてきます。

ケースの提案で言葉が慎重になりすぎて
肝心の一言を飲み込んでしまう。
チームの場でも一歩引いてしまう。

研修に行く、やり方を変える、相談する。

そんな小さな挑戦さえ腰が重くなります。

失敗を避けたい気持ちは当然ありますが、
その気持ちが強いほど、
選べる道が細くなるのがしんどいところです。

 

そして一番やっかいなのが、
「今」が薄くなることです。

目の前の訪問に集中したいのに、
頭の片隅で昔の場面が回る。

利用者さんの話を聞きながら、
別の訪問の後悔が浮かぶ。

帰り道、信号待ちの数十秒で
勝手に反省会が始まる。

体は運転席にいるのに、
心だけが過去の現場に置き去りになる。

休憩しているはずなのに、
休んだ気がしない。

今日という一日が
どこか借り物のように感じることもあります。

 

それは「弱さ」ではない

ここで大事なのは、
これはあなたが弱いからではないということです。

脳はもともと危険や痛みを強く覚えるようにできています。
二度と同じ目に遭わないための仕組みです。

だから思い出すこと自体を責める必要はありません。

問題は、
その記憶にずっとハンドルを握られる状態になってしまうことです。

そうなると肩はこり、
呼吸は浅くなり、
眠りも浅くなります。

ちょっとした一言に引っかかったり、
逆に何も感じないふりをしたりする。

世界が全部「攻めてくる側」に見えてしまう日も出てきます。

 

では、どうしたらいいのでしょうか。

「忘れよう」とするのは
だいたい逆効果だと私は思っています。

忘れようとするほど
その記憶は目立ってしまうものです。

だから、
「消す」よりも距離を取ることが
現実的ではないでしょうか。

過去の出来事は“事実”として置いておき、
“意味”は今の自分が付け直していく。

「あれで終わりでした」
ではなく
「あれで気づけました」
「あれがあったから今は慎重にできます」

そんなふうに整理していきます。

 

完璧でなくても、向き合っていた

訪問看護の現場には、
正解が一つではありません。

相手の体調も気分も生活も
その日その時で変わります。

だから「あのときの一手」が
唯一の正解だったとは限りません。

迷いながら選んだこと自体が
その人に向き合った証拠でもあります。

完璧でなくても向き合っていた。

その事実は
ちゃんと自分の中に残していいと思うのです。

 

それに、忘れたくない過去もありますよね。

ふと笑ってくれた瞬間。
帰り際に「来てくれて助かりました」と言われた日。
「また来てや」と声をかけてもらえた日。

過去を全部「敵」にしてしまうと
そういう小さな光まで一緒に捨ててしまいます。

重い記憶は棚に置いて、
軽い記憶はポケットに入れる。

今の自分が持てる分だけで、十分だと思います。

 

小さな前進を、今日のどこかに

過去が襲ってくる夜があってもいいと思います。

その夜に負けたっていいんです。

ただ翌朝にもう一度だけ、
今日の訪問に必要なものを車に積む。
記録を一行だけ書く。
電話を一本かける。

ほんの小さな前進を、生活のどこかに置いてみる。

それだけで気持ちは少しずつ「今」に戻ってきます。

 

過去はあなたの一部です。
でも、あなたの全部ではありません。

ページをめくる手が止まる日があっても
物語は終わっていません。

「今ここ」から
また書き足していくことができます。

春はまだ冷える日があっても、
ちゃんと季節は先へ進みます。

私たちも、そんな感覚でいられたらいいですね。

さあ、また前に進んでいこうかな。
では、今日はここまで。

この記事を書いた人

濱𦚰直行

株式会社Make Care 専務取締役COO

濱𦚰 直行

看護師

オペ看護師としての豊富な経験を活かし、精神科訪問看護の現場へ。地域密着型のケアと現場主義を貫く実践派。石森・中野とともに株式会社Make Careを創業し、現在は訪問看護ステーションくるみの統括責任者として、現場支援と組織運営の両立に挑んでいる。

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