大阪市全域を訪問区域とする『訪問看護ステーションくるみ』の代表、濱脇直行が綴る『専務エッセイ』第73弾!
暖かくなりましたね。
ついに春という感じです。
桜の開花宣言も
もうすぐ出そうな時期になり、卒業式や入学式の季節になりました。
最近、目が痒いのですが、
もしかするとこの年で花粉症デビューをしてしまったのかもしれない専務の濱脇です。
さて今回は「掃除がこころに与える影響」というテーマでコラムを綴っていきたいと思います。
ごゆるりとお読みください。
大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市全域対象
“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」
平日・土曜・祝日 9:00〜18:00
【日曜・お盆・年末年始休み】
※訪問は20時まで
対応させていただいております。
掃除とこころは、案外つながっている
掃除をすることとこころの状態は
案外つながっていると思います。
こう書くと少しまじめに聞こえるかもしれませんが、
実際の暮らしの中では「ほんまにそうやな」と感じることがよくあります。
部屋が散らかっているとそれだけでなんとなく落ち着かない。
逆に、
少し片づくだけで少し息がしやすくなる。
そんな感覚は、
多くの人が日々の中で感じているのではないでしょうか。
もちろん、掃除をしたからといって、
こころの問題がすべてなくなるわけではありません。
そんな簡単な話ではないです。
しんどいときはしんどいし、
動けないときは本当に動けない。
それでも、
暮らしの中で「少し整える」ということが
こころに与える影響は小さくないと思っています。
こころがしんどいと、生活から崩れていく
訪問に行っていてもそれはよく感じます。
こころがしんどくなってくると
まず生活の細かいところから崩れやすい。
テーブルの上に郵便物が重なっていく。
飲み終わったペットボトルがそのまま置いてある。
洗ったほうがいい食器が流しに残る。
脱いだ服が椅子にかかったままになる。
床に物が増えて、歩く場所が少し狭くなる。
一つひとつは大したことがないように見えます。
でもそれが続いていくと、
部屋全体の空気まで少し重たくなるように感じます。
散らかっていること自体が悪いのではないと思います。
問題なのは、目に入るたびに
「片づけなあかんな」
「でも今は無理やな」
「またできへんかったな」
という小さな引っかかりが増えていくことです。
それが一つだけなら大したことはありません。
でも、部屋のあちこちにあると
こころはじわじわと疲れていきます。
何もしていないのに疲れる日がありますが、
あれはこういう小さな負担が
積み重なっていることもあるのではないかと思います。
暮らしの中の“地味なしんどさ”
朝、出かける前に鍵が見つからない。
薬をどこに置いたかわからない。
必要な書類が他の紙に紛れて出てこない。
ゴミを出そうと思っていたのに、袋をしばるところまでいかない。
こういうことは、
一つ起きるだけでも地味にしんどいものです。
しかも地味だからこそ、周りにも伝わりにくい。
でも本人の中では、確実に負担になっています。
反対に、掃除は結果が目に見えるのがいいところだと思います。
流しのコップをひとつ洗う。
机の上の紙をまとめる。
床に落ちている物を拾う。
ゴミ袋をひとつ出す。
「ちゃんと片づいた」とまではいかなくても
さっきよりは少しましになる。
この「少し変わった」が、
しんどい時期には意外と大きいのだと思います。
こころのしんどさは
頑張ってもすぐに成果が見えにくいことが多いです。
でも掃除はやった分だけ少し変わる。
その実感が
こころを支えてくれることがあります。
無理をすると逆効果になる
ただ、ここで無理をすると話が変わってきます。
しんどいときに
「掃除しなあかん」
「ちゃんとせなあかん」
と思いすぎると、
掃除そのものがしんどさになります。
元気なときにはなんでもないことが、
しんどいときにはやたら重たい。
掃除機を出すのも面倒。
ゴミを集めるのもしんどい。
立っているだけで疲れる。
そういう日も普通にあります。
そこに「こんなんもできへん自分はだめや」と重ねてしまうと、余計につらくなります。
掃除は完璧にやることが大事なのではありません。
大切なのは、少しでいいから手をつけられること。
全部片づけるのではなく、今日はテーブルの上だけ。
流し全部ではなく、コップひとつだけ。
洗濯物全部ではなく、タオルだけたたむ。
玄関の靴をそろえるだけでもいいし、
カーテンを開けて空気を入れ替えるだけでもいい。
本当に、それくらいでいいと思います。
小さな一歩が、こころを支える
訪問看護をしていると、
利用者さんに対しても「まず全部をどうにかしなくていい」と思うことがよくあります。
部屋全体を片づけようとするとしんどい。
でも、いつも座る場所の周りだけならどうか。
寝る場所の近くだけならどうか。
ゴミをひとつまとめるだけならどうか。
そうやって考えると少し現実的になります。
そして、その現実的な一歩のほうが
実はこころには大切だったりします。
掃除はきれい好きな人がするものだと思われがちですが、私はそうは思いません。
掃除はちゃんとしている人のためのものというより、
しんどい暮らしの中で自分を少し助けるためのものだと思っています。
自分が過ごす場所を少し整えることは
自分を少し雑にしないということでもあります。
大げさなことではありません。
でも、そういう小さなことに
こころは意外と支えられています。
暮らしが整うと、こころも少し戻る
こころがしんどいとき、
大きなことを変えるのは難しいです。
考え方を変えるのも
前向きになるのもしんどい。
でも、
机の上を少し空けることなら
できる日があるかもしれません。
ペットボトルを捨てることなら
できる日があるかもしれません。
脱ぎっぱなしの服を洗濯かごに入れることなら
できる日があるかもしれません。
その小さな動きが
暮らしを少し戻してくれることがあります。
暮らしが少し戻ると
こころも少しだけついてくることがあります。
掃除は魔法ではありません。
でも、暮らしの中の現実的な手当てだと思います。
そしてその手当ては
部屋のためだけでなく、
自分のこころのためにもなっています。
だから、しんどいときほど
「ちゃんと掃除しよう」ではなく「ひとつだけ整えよう」でいい。
そのくらいのほうがきっと人は続けていけます。
掃除をすることは
部屋をきれいにすることでもありますが、
毎日の中で自分を少し立て直すことでもある。
私は、そんなふうに思っています。