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[中村エッセイ] 第6回 クライシス・プランはなぜ「うまくいかない」と感じるのか

中村エッセイ精神科訪問看護とは

 

「クライシス・プラン、調子が悪いときになかなか見てもらえないんです。何かいい方法はありますか?」

色々な場所でクライシス・プランについて話す機会があるのですが(ありがたいことです)、このような質問をいただくことが多くあります。同じような経験から「クライシス・プランって本当に意味があるのだろうか」と感じている方も少なくないのではないでしょうか。

こういった問いは、クライシス・プランに真面目に取り組み実際の現場で試行錯誤しているからこそ生まれてくる、とても誠実なものだと感じています。今回は、この問いに対して「どうすれば見てもらえるか」という答えをすぐに探しにいくのではなく、その背景にある前提そのものを少しだけ考え直してみたいと思います。

 

大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市全域対象

“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」

06-6105-1756 06-6105-1756

平日・土曜・祝日 9:00〜18:00 
【日曜・お盆・年末年始休み】

※訪問は20時まで
対応させていただいております。

 

まず「調子が悪い時に見てもらえない」という言葉の背景には、クライシス・プランが「うまくいかない」という感覚があるのだと思います。では、そもそもクライシス・プランは「うまくいく/いかない」で評価されるものなのでしょうか。

多くの場合「うまくいく/いかない」という評価の背景には、クライシス・プランを「方法」として捉える視点が多く含まれていると思います。あらかじめ書面に書かれた対処法が、不調時にもその通りに実行されることを前提としてしまっている、ということです。

しかし実際には、調子が悪い真っ只中にわざわざ書面を取り出して冷静に読み返し、その通りに行動できる人はほとんどいません。この記事を読んでいる皆さんも、例えば風邪を引いて熱が出て寝込んでいるとき、書面を取り出して「今はこういう状況だからこうすればいいんだな」と考える余裕のある人は少ないと思います。また、そのような状況で誰かに「一緒にプランを確認しましょう」と言われたらどうでしょう? 僕はイラっとすると思います。むしろ、そうした余裕がなくなるからこそ「不調」なのだと言えます。

それにもかかわらず「書いたのに使われなかった」と感じてしまうのは、どこかでクライシス・プランを“不調を立て直すために機能するもの”として見てしまっているということです。さらにそこに「活用させる」「守ってもらう」といった管理的な視点が重なると、クライシス・プランはいつの間にか本人のものではなく、支援者側の安心を担保するツールへとすり替わってしまいます。

以前(第4回)の記事にて、長い臨床経験の中で「アンチ・クライシス・プラン」という立ち位置を表明するに至った方との出会いについて書きましたが、おそらく、このようなことが日本全国色々なところで起こってきたのではないかと僕は感じています。本来の目的が見失われたとき、それはもはやクライシス・プランとは呼べないものになってしまうのかもしれません。

では、クライシス・プランとはいったい何なのでしょうか。

 

▼クライシス・プランの基本の書式

 

クライシス・プランは「ツール」と「プロセス」二つの側面を持っています。残念ながら現状では「ツール」としての側面が強くなってしまっていますが、本来「プロセス」として考えていく視点を持つことが重要です。クライシス・プランのプロセスとは、本人と支援者との関係の中で生まれていく理解であり、振り返りを重ねる対話であり、試行錯誤の積み重ねです。書面に記載された内容そのものよりも、そこに至るまでのやり取りや、精神的な不調を経験したあとに「何が起きていたのか」「何が助けになったのか」を一緒に見つめ直していく過程のほうが、本質的にはずっと重要なことです。

臨床での場面を思い返してみると「前に利用者(患者)さんと決めておいた対処が全く役に立たなかった」という場面に出会うことは珍しくありません。そのときに「やっぱり意味がなかった」で終わるのか、それとも「なぜ今回はうまくいかなかったのか」を一緒に考えるのかで、その後の関わりは大きく変わってきます。

精神的な不調とは、その人が「自分自身をコントロールできている」という感覚が薄れていくことでもあります。自己コントロール感を失っていくとき実際に何が起きていたのか、何がきっかけで余裕がなくなっていたのか、そもそも、その対処はその人にとって安全で現実的だったのか、あるいは、そのとき本当に必要だったのは別の関わりだったのか。そうした問いを一つひとつ辿っていく中で、はじめてその人にとっての実感に近づいていくことができます。

そう考えていくと、うまくいかなかった経験そのものがすでにクライシス・プランの一部であるとも言えます。うまくいかなかったと感じている事実、それをどう受け止めたのか、そのあと何を感じたのか。それらはすべて、次への理解につながっていく大切な手がかりです。

私たちも、こころの不調を完全に防ぐことはできませんよね? こころの不調は精神疾患の有無に関係なく、誰にでも起こることです。嫌なことはあるし、悲しいことは起こるし、いくら頑張っても認めてもらえないし、イライラして仕方ない時はあるし、思い通りにいかないことばかりですが、それが人生なのだと思います。クライシス・プランは、人がそうして苦しんだり迷ったりすることも前提として考える、ということです。

 

 

僕はよく「支援者はクライシス・プランのピース(断片)をたくさん集めることが大切ですよ」という話をします。クライシス・プランのピースとは、例えばその人が大事にしている考え方や繰り返している行動、価値観などを指します。それは書面を作成したり活用したりしている最中だけでなく、その人と出会った瞬間から、コミュニケーションや行動、医学的な所見などから「意識的に探す」ということが大事になります。

そうして集められたピースは、すぐにひとつの形になるわけではありません。むしろ、不調を経験したり、その後に振り返ったりする中で対話を繰り返し、少しずつ意味づけが変わりながら、その人なりの工夫や対処としてつながっていくものです。

だからこそ「書面が使われなかった」という出来事そのものも、とても重要な意味を持つのです。見られなかったことには理由があるし、そこにはその人の状態や背景が必ず存在しています。それを一緒に考えていくこと自体が、すでに看護の一部にもなっているのだと思います。

 

▼クライシス・プランの例 (架空事例) これを見てあなたはどんな人を想像しますか?

 

看護の現場では、看護師が良いと思っていることと、利用者(患者)さんにとってしっくりくることが一致しない場面も多くあります。あるいは、スタッフ間や関係機関の支援者とのやりとりでも、そのようなズレは起こり得ます。

そのとき、「正しいか/正しくないか」「良いか/悪いか」の二軸で判断するのではなく「なぜその人はそう考えるのか」という文脈に目を向け続けることが大切です。そして同時に「なぜ自分はそう考えているのか」という自分自身の前提にも目を向けていく。その両方を行き来しながら関わっていくことが、クライシス・プラン的な関わりなのではないかと感じています。

クライシス・プランは不調を完全に防ぐためのアプローチというより、不調や気分の揺らぎを前提にしながら、その中でどう生きていくのかを一緒に考え続けていくためのプロセスです。書面は、その一部を一時的に切り取ったものに過ぎません。

「うまくいかなかった」と感じる場面に出会ったとき、それを失敗として閉じてしまうのではなく「何が起きていたのか」と考え続けること。その繰り返しの中で、その人にとっての現実に根ざした工夫や対処が見えてくるのだと思います。だからこそクライシス・プランは、完成させるものではなく、関係の中で更新され続けていくものなのだと感じています。

 

この記事を書いた人

中村義幸

中村 義幸

フリーランス看護師 / MIRAI訪問看護ステーション 非常勤取締役

芸術系の大学で音楽を学んだあと、看護の道へ進む。精神科急性期病棟および精神科訪問看護での勤務を経て、現在は大阪を拠点にフリーランスの看護師として、訪問看護ステーションで働く方々に向けた精神科に関する教育支援などを中心に活動している。あわせて、東京のMIRAI訪問看護ステーションにて非常勤取締役を務めている。

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