大阪市全域を訪問区域とする『訪問看護ステーションくるみ』の代表、中野誠子が綴る『社長エッセイ』第78弾!
先日、NiziUのライブに行ってきました。
毎回ライブには足を運んでいるのですが、ファンクラブに入っていても年々チケットが取りにくくなっています。
結成から5年。
彼女たちの成長に涙しながら、まるで親のような気持ちで見守っていました。
やはり生の音楽はいいですね。
たくさんのエネルギーをもらえる、素敵な時間でした。
さて今回は、最近ネットを見ていて気になったことについて書いてみようと思います。
大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市全域対象
“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」
平日・土曜・祝日 9:00〜18:00
【日曜・お盆・年末年始休み】
※訪問は20時まで
対応させていただいております。
「見つからなければ大丈夫」という思考
「バレなければいいと思った」
ニュースやSNSで、ときどき耳にする言葉です。
「実名でSNSをしていないからバレないだろう」
「面白い動画が撮れたから投稿してみよう」
「職場の上司に腹が立ったから書いてしまおう」
そんな軽い気持ちから始まることもあるのでしょう。
けれど私は、この言葉に触れるたびに、単なるルール違反以上のものを感じます。
それは、「人の目がなければ、自分を律する理由がなくなる」という危うさです。
本来、倫理や誠実さというものは、誰かに見られているから守るものではなく、「自分がどう在りたいか」によって選ぶものだと思っています。
しかし人は時に、
・怒られなかった
・問題にならなかった
・周囲に知られなかった
・自分だけが得をした
という結果だけを見て、「悪いことではなかった」と錯覚してしまいます。
でも本当は、「バレたかどうか」と「誰かを傷つけたかどうか」は別の話ではないでしょうか。
匿名の向こう側にも人がいる
例えばSNSです。
匿名だから。
誰だかわからないから。
画面越しだから。
そんな理由で、普段なら口にしないような言葉を投げかける人がいます。
「直接言っていないから」
「名前を出していないから」
「冗談のつもりだったから」
そうやって自分の行動を正当化していく。
けれど、その言葉を受け取る側には感情があります。そして傷が残ることもあります。
発信した本人に悪意がなかったとしても、傷ついた事実が消えるわけではありません。
匿名という環境は、時に人の「良心」までも匿名にしてしまうことがあります。
そして、この問題は看護師だからダメという話だけではないと思っています。
もちろん看護師は、人の人生や尊厳に関わる仕事です。
守秘義務。
倫理観。
信頼。
「バレなければいい」という感覚で扱ってはいけないものを、私たちは多く抱えています。
だからこそ看護師には、誰も見ていない場所でも自分を律する責任があります。
しかし同時に、これは資格の問題だけでもありません。
人を傷つけること。
誰かを見下すこと。
陰で嘘を重ねること。
自分だけが得をすればいいと思うこと。
それは看護師だからいけないのではなく、人として大切にしてはいけない感覚なのだと思うのです。
誰も見ていない時に現れる本当の姿
精神科訪問看護の現場で感じるのは、人は「誰かに見られている時」よりも、「誰も見ていない時」に本質が現れるということです。
丁寧さ。
誠実さ。
優しさ。
責任感。
それらは評価されるために持つものではなく、本来は自分の内側にあるものです。
逆に言えば「見られているときだけきちんとする」という状態は、どこかに無理が生じます。
だから環境が変わると、態度も簡単に変わってしまうのかもしれません。
「バレなければいい」という思考の怖さは、少しずつ感覚が麻痺していくことにあります。
最初は小さな嘘だったかもしれない。
最初は軽い悪口だったかもしれない。
最初は「これくらいなら」と思っただけだったかもしれない。
けれど、それを繰り返すうちに、自分の中の違和感を感じなくなっていく。
私は、それが何より怖いことだと思うのです。
人として本当に怖いのは、失敗することではなく、自分の感覚が鈍くなってしまうことなのかもしれません。
さいごに
看護師である前に、ひとりの人として。
誰も見ていない時に、自分がどう振る舞うのか。
そこに、その人の本当の価値が表れるのだと思っています。
この文章が、皆さんにとって少しだけ自分自身を振り返るきっかけになれば幸いです。
さて、次は何を書こうかな。