
看護師・中村がクライシス・プランの実践を軸に、看護のこと(時々それ以外も?)を自由に綴るエッセイ第11弾!
むず痒い違和感
人前で話すことが得意そうですね、と言われることがあります。
そう言われるたび、少しむず痒い気持ちになり、「そんなことはないんだけどな」と思います。
なぜなら実際の僕は、人前で話すことに今でも強い緊張を感じますし、研修の前日になると眠れなくなることも珍しくないからです。
また、僕は昔から、何かを考えるのにとても時間がかかる人間でした。
そのことを長いあいだ欠点だと思っていましたが、あるきっかけで、最近は少しだけ違う見方もできるようになってきました。
今回の記事は、研修の前日に眠れなくなるという話から始めてみたいと思います。
大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市全域対象
“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」
平日・土曜・祝日 9:00〜18:00
【日曜・お盆・年末年始休み】
※訪問は20時まで
対応させていただいております。
「台本」というお守り
自分が登壇する研修の前日になると、僕は、眠れなくなることが多くあります。
ただでさえ不眠がちではあるのですが、人前に出て話さなければならない緊張感は、何度経験しても「慣れ」などというものは感じられず、起こる可能性の少ないトラブルまであれこれ想定してしまい、熟睡することなどできそうにもありません。
少しでも心穏やかに当日まで過ごせるよう、僕は、台本をかなり丁寧に作り込みます。
そしてその台本を何度か最初から最後まで声に出して読み返します。
時間配分まで丁寧に調整して準備しておかないと、その研修のことばかりに気を取られて他の仕事がまるで手に付かない、なんてこともよくあります。
「みなさんこんにちはー!ただいまご紹介に預かりました、MIRAI訪問看護ステーションの中村です。本日はよろしくお願いいたします!」
わざわざそこまで書かなくてもいいのに、と自分でもツッコミを入れながら、挨拶の一文まで一語一句書いておかないと、ぼんやりした不安は濃いまま。
ちょっとした抑揚なんかも書きこまないと、調子が出ません。
まるで楽譜のように、文章の上下に小さく「ここは少しスピードを上げて」とか、「ここは強めに」とか、「一呼吸おいて」など、自分に対する指示を書き込んでおくことも、結構あります。
もし途中で、頭が真っ白になったら…?
もし質問に答えられなかったら…?
もし、「この人、実は大したことないな」と気付かれたら…?
借り物の言葉
僕は昔から、「人の話を聞く」ということが苦手でした。
学校の授業もあまり頭に入ってきませんでしたし、何か研修を受けても話が体を素通りしていく感覚があります。
さらに、話を聞きながらノートを取る、ということがめっぽううまくできませんでした。
みんな当たり前のようにやっていましたが、僕にはそれが恐ろしく難しいことに感じられました。
逆に、文字を読むことは好きです。
自分のペースで読み、自分のタイミングで止まり、自分の満足いくまで考えることができるからです。
しかし、リアルタイムで流れていく会話には、昔からどうしても馴染めません。
みんなが次々と頷きながら話を理解していく中で、僕だけが一つ前の言葉に引っ掛かり、その意味について考えているうちに、会話そのものは遥か遠くへ行ってしまいます。
そのため僕は、長いこと「自分は頭の回転が遅い人間なのだ」と思っていました。
瞬発的に返事ができる人、質問されてすぐに気の利いたことを言える人、会議で次々と意見を言える人、そういう人を見るたび、自分には何か決定的な欠陥があるように感じられました。
ロジカルシンキング、頭の回転を速くする方法、相手の話を整理して返す技術など、自己啓発本のようなものも随分読みました。
そういう本を読めば、自分もいつか、もっと滑らかに、もっと堂々と話せる人間になれるのではないかと思っていました。
そんな風に本を読み漁って武装しまくった結果、何が起きたのかというと、僕は本に書いてあることをなぞるように日常的に会話するようになってしまいました。
そして残ったのは、「自分の中身は空っぽなのではないか」という空しさのような感覚です。
どこかに書いてあることや誰かが言っていることを、こっそりと拝借して繋ぎ合わせ、まるで自分の言葉のように喋っているだけで、本当の意味で自分の言葉など何一つ持っていない。
そう思うと、ひどく恥ずかしく、その「浅さ」が露呈するのが、なんだかとても怖いのです。
だから僕は、台本を作り込むのだと思います。
視点を変えられたきっかけ
先日、友人にこんなことを言われ、ちょっと拍子抜けしました。
「中村くんは、ちゃんとじっくり考えてから話したい人なんじゃないの?」
僕は自分のことを、ずっと「頭の回転が遅い」と思っていて、だから人よりも劣っていて、それを努力で賄わなければならないと考えていました。
しかし、友人は違った見方をしていました。
言われた言葉をゆっくりと考えてみたら、妙に腑に落ちたのを覚えています。
確かに僕は、例えばなにか質問をされたとき、すぐにパッと答えることが苦手です。
会議でも、研修の質疑応答でも、利用者さんとの面談でもそう。
自分自身が納得のいくような回答ができた試しがありません。
しかし、その場ではうまく言えなかったことが、後日、散歩している時やお風呂に入っている時なんかに突然まとまったりします。
「なんであの時あの瞬間にこの言葉が出てこなかったんだろう?」と何度思ったことか。
けれど、ちょっと視点を変えると、僕は確かに一つの物事に関して何日も何日も考え続けることはできるのです。
そして、どれだけ時間がかかったとしても、一応は自分の納得のいくような答えを言語化してきた気がします。
それは決して効率の良いことではありませんし、今でも、瞬発的に的を得た話ができる人を見ると、軽く嫉妬を覚えます。
でも、友人の言葉がきっかけで、最近はそれも一つの「自分らしさ」なのかもしれない、と少し思えるようになりました。
また、自分の「頭の回転の遅さ」は看護の仕事の中では必ずしも悪いことばかりではないようにも感じるのです。
例えばクライシス・プランの実践においても、「あなたにはどんな目標がありますか?」「調子が悪くなったらどうしたいですか?」などと尋ねても、すぐに言葉が出てくる人はほとんどいません。
本当に大切なことほど、その場ですぐに、簡単には言葉にならないものなのだと、僕には実感を伴って理解できます。
自分へのまなざしを他者へ
研修が予定されると、今でも僕は台本を作りこみます。
相変わらず過度に緊張しますし、よく眠れないこともあります。
けれど、以前ほどそういうことを欠点だとは思わなくなりました。
考えるのに時間がかかるなら時間をかければいいし、答えがすぐに出ないなら出ないまま持っていてもいい。
誰かから借りてきた言葉であっても、それを自分の中で咀嚼し続けるうちに、少しずつ自分の言葉になっていくこともあるのではないかと、今は感じています。
そうやって自分自身に向けているまなざしは、そのまま自分以外の人にも向けていきたいと思っています。