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【CEOエッセイ】Vol.012 ハムさんのことを語ってみよう。

2025.04.06 HEROさんシリーズMr.Childrenくるみの社長エッセイ

こんにちは。株式会社Make CareのCEOであり、訪問看護ステーションくるみでマーケティングを担当している石森寛隆です。
XではHEROと名乗っていますので、もしよろしければフォローください。

さて、今回は、以前、ハムさんと誠子さんがそれぞれ、僕のことを語ってくれていたので、そのアンサーコラムになります。

こそばゆい感じもするけど、もし良かったら2人のコラムと、僕の自己紹介コラムを合わせて読むと、ちょっと僕と言う人間の解像度が上がるかもしれません。
ハムさんのコラム : 【専務エッセイ】Vol.28 石森寛隆の存在
誠子さんのコラム : 【社長エッセイ】Vol.27 石森寛隆の存在

僕の自己紹介コラム : 【CEOエッセイ】Vol.000 訪問看護ステーションくるみを影で支えるCEO石森寛隆って誰やねんって話。〜お仕事経歴編〜

ハムさんこと濱𦚰直行との出会いから今に至るまで、その関係について僕が思っていることをちょっと掘り下げて書いてみようと思います。

大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市全域対象

“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」

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出会いはミスチル縛りのカラオケオフ会だった

ハムさんと初めて出会ったのは、2012年12月2日。
もう10年以上前のこと。

当時、僕はMixiを使っていて、ある日目に留まったのが「Mr.Children縛りのカラオケオフ会」だった。
主催者の名前は──ハムさん。

ミスチルが好きで、カラオケが好きで、ちょっと時間もあって、ミスチル好きな人と語り合いたい気分で。
そんな気持ちで妻と一緒に参加を決めたあの日のことを、今でもよく覚えている。

当日、カラオケの順番がまわってきて、ハムさんが歌い始めたのは「#2601」だった。

え、めちゃくちゃカッコいいじゃん。
その時の第一印象は今でも変わってない。
本気で音楽を楽しんでる人って、あんなふうに空気を変えられるんだなって。

距離が近づいていった日々

しばらくは──いわば「主催者と参加者」っていう距離感だったと思う。
でも、何度か参加していくうちに、自然と距離は近づいていった。

その頃、僕は京都に住んでいて、あるときはハムさんが家に遊びに来てくれたりもした。

最初のオフ会に僕は妻と一緒に参加していたこともあって、気がつけば家族ぐるみの付き合いになっていた。

ミスチルを通じて出会ったご縁が、少しずつ、でも確実に、僕たちの関係を育てていった──そんな気がしている。

価値観が重なりはじめたころ

距離が急激に縮まっていったのは、オフ会の開催のベースがMixiからFacebookに移ってからだった。
お互いの投稿を通じて、日常のことや、ちょっとした悩みも見えるようになって、ただ「一緒に歌う人」から、「日常も共有する人」に変わっていった気がする。

そして、そのFacebookベースのオフ会で──もう一人の仲間、誠子さんとも出会った。
この出会いが、のちに「訪問看護ステーションくるみ」につながっていくなんて、当時の僕たちは誰も思ってなかったと思うけれど。

「好き」より「嫌」が合うということ

「何がそんなに気が合ったんだろう?」って、今振り返ってみると──
もちろん、共通項としてMr.Childrenがあったのは大きかった。
でも実はそれ以上に、僕ら3人は「嫌」とか「嫌い」の感性が似ていた気がする。

たとえば──ライブでスマホのライトを無駄に振り回す人に、心の中で(あるいは声に出して)イライラしてたり。
「歌わないで静かに聴いてください」って言われてる場面で、唐突に歌い出す人に「いや、それちゃうやろ」って真顔で注意してたり。

「嫌」を共有できるって、実はかなり大事で、嫌なことが起きにくい、ストレスが少ない、ってだけで、一緒にいてすごく気が楽になる。
たぶん、僕らの関係性は、「好き」を共有する以上に、「嫌」を排除できる安心感がベースにあったんだと思う。

恒例の「年越部」と、積み重ねた時間

もう10年近く、ハムさんと誠子さんとは毎年、大晦日に会ってる。
その名も──「年越部」。
集まってご飯を食べて、カラオケ行ったりなんかして、時にはゲイバーに行って占いを受けてみたり。
年が明けたら、みんなで櫻井神社に初詣。
そして解散。

ただそれだけなんだけど、不思議と毎年の恒例行事になっていて、何だかんだ、こうして時間をともに過ごしてきた。

そうして、一緒にライブに行ったり、飲みに行ったり、時には舞台を観に行ったりもした。
頻繁に会っていたわけじゃない。
でも、友だちとしての時間を、僕たちはちゃんと大事にしてきたんだと思う。

コロナが転機に──起業への道

そんな中で──世界がコロナに包まれて、誰もが何かしら「仕事」に行き詰まり、閉塞感やもどかしさを感じていた。
僕ら3人も、それぞれに、悩みを抱えていたと思う。

そこから、くるみを立ち上げるまでの話。
どうやってその閉塞感が、僕たちの「愚痴」が「希望」に変わっていったのか──
そのあたりは、
【CEOエッセイ】Vol.007「訪問看護ステーションくるみができるまで 〜愚痴と信頼と音楽から生まれた、僕らの“道しるべ”〜」に詳しく書いているので読んでみてほしい。

衝突、でも投げ出さない誠実さ

もちろん、起業してからは、うまくいかないこともたくさんあった。
むしろ、それまでよりも、たくさんぶつかるようになった気がする。

それは、今、この瞬間だって変わらない。

ハムさんにとっては「腹落ちするまで時間がかかること」が本当に多かったと思う。
僕が「やってみよう」「突破口を探ろう」って言うと、ハムさんは「それは無理」「できない」って言う。
それに対して、僕は「無理って、そんな簡単に言わないでよ」「根拠は?方法は本当にないの?」と返す。

後から聞いた話だけど、そんな会議のあと、ハムさんと誠子さんは二人でめちゃくちゃ喧々諤々やってたらしい(笑)

でも、ハムさんは決して投げ出さなかった。
毎日、毎日、真正面から向き合ってくれた。

頭が千切れるくらいに考えて、
今までずっとやってきた手術室や病棟の看護の考え方から、
訪問看護の「経営」というまったく新しい領域に、意識を切り替えて、必死に理解しようとしてくれた。

その努力を、僕は知ってる。
だからこそ、今のくるみがある。

やっぱりくるみの防衛線、防御の要はハムさん。

今でも、僕たちにはなかなか集まってこないスタッフの情報が、自然とハムさんのところには集まってくる。

何か相談があれば、まずハムさんに声をかける。
それは、僕にも誠子さんにもない“才能”だと思う。

僕や誠子さんがちょっと暴走気味に突っ走りはじめたら、そっとブレーキを踏んでくれるのも、いつもハムさん。

そして、僕や誠子さんが本気でキレたらもう修復不可能だからって、先に自分が怒って、場を収めてくれるのもハムさんだ。
(実は、最後キレたときに一番怖いのもハムさんなんだけど、ね。笑)

3人の中では、たぶん対外的には一番目立たないように見えているかもしれない。
でも──訪問看護ステーションくるみの“防御の要”は、間違いなく、ハムさんなんだよね。

それぞれ役割が変わったり、関わり方が変わったり、会社が大きくなっていくにつれてフェーズによって立ち位置が変わってくることはあると思う。

それでも、この会社は三人で立ち上げた三人の会社。

僕たち三人で始めたので、離れる時も三人一緒がいいと思ってる。

描いた未来の実現のために。

まだまだ三人で走り続けたい。

桜井さんと呼人くんが、ゴールデンサークルで、「いつかの僕らの夢、星になれたかな」ってライブをやったんだけど、いつか僕らもそんな風に思えるようになったらいいな。

そんな風に思ってる。

次は・・・やっぱり誠子さんのことを書こうかな。
Vol.013は誠子さんのこと・・・だね。

 

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