大阪市全域を訪問区域とする『訪問看護ステーションくるみ』の代表、中野誠子が綴る『社長エッセイ』第82弾!
歳を取ることは、ただ穏やかに受け入れられるものではないと思っています。
できていたことができなくなる。
無理がきかなくなる。
疲れは顔にも身体にも残るし、回復にも時間がかかる。
昔は笑って済ませられたことが、今はちゃんと堪える。
正直に言えば、悔しいです。
若い頃の自分より、今の自分の方が経験も知識もあるはずなのに、身体だけは少しずつ思うようにいかなくなる。
気合いだけで押し切れないことも増えていきます。
歳を取るというのは、そういう現実を突きつけられることでもあるのだと思います。
でも一方で、歳を重ねたからこそ、ようやく手にできたものもあります。
今日はそんな、歳を取って失うものと、歳を取ったからこそ得たものについて書いてみたいと思います。
大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市、吹田市、尼崎市全域対象
“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」
平日・土曜・祝日 9:00〜18:00
【日曜・お盆・年末年始休み】
※訪問は20時まで
対応させていただいております。
歳を取って失った「無敵感」
歳を取ると失うものとして、真っ先に思い浮かぶのは若さや体力かもしれません。
もちろん、それもあると思います。
でも、私が本当に失ったと感じるのは、もっと別のものです。
たとえば、「根拠のない自信」。
何があっても、なんとかなると思えていた無敵感。
傷ついても、寝たら回復するような軽さ。
人にどう見られるかを気にしながらも、それでも勢いで飛び込めていた、あの頃の無防備さ。
若い頃の私は、今よりずっと未熟で、視野も狭くて、不器用でした。
でも、その未熟さの中には強さもありました。
失敗しても、傷ついても、恥をかいても、また立ち上がるまでが早かった。
怖いものを知らないからこそ、前に進めることもあったのだと思います。
歳を取ると、いろんなことを知ってしまいます。
人が平気で人を傷つけることも。
信じていたものが簡単に壊れることも。
こちらに非がなくても、理不尽に悪意を向けられることがあるのも知る。
知ってしまうからこそ、昔みたいに無邪気ではいられなくなる。
前より慎重になるし、前より身構えるし、前より簡単には人を信じなくなる。
それは、きっと悪いことばかりではありません。
でも少なくとも、何も知らなかった頃の軽さは、もう戻ってこないのだと思います。
そして身体も、同じです。
気持ちはまだやれるつもりでいても、身体はそうではないことがあります。
少し無理をしただけで、あとからちゃんと響く。
睡眠不足も、疲労も、ストレスも、若い頃みたいにごまかせない。
「これくらい大丈夫」と思っていたものが、全然大丈夫じゃないことも増えました。
それは少し情けなくて、少し悔しい。
頑張りたい気持ちはあるのに、同じやり方では続かない。
以前の自分ならできていたはずなのに、今はその「はず」に自分が追いつかない。
でも、ここでようやく気づいたことがあります。
「できなくなったことを認めるのは、負けではない」ということです。
若い頃の私は、無理をすることが努力だと思っていました。
限界まで頑張ることが真面目さで、自分を後回しにすることが責任感だと思っていたところもあります。
でも今は、それがずっと正しいとは思いません。
自分を壊してまで守ったものは、結局長くは続かない。
身体も心も削りながら仕事をすることを、美談にしてはいけない。
歳を取ってわかったのは、続けるためには、自分を雑に扱ってはいけないという、当たり前のことでした。
「全部に応えなくていい」と知った
失ったものがある一方で、歳を取って得たものもあります。
そのひとつは、全部に応えなくていいと思えるようになったことです。
若い頃は、嫌われたくなかった。
ちゃんとしていると思われたかったし、期待に応えたかったし、理解されたい気持ちも強かったと思います。
だから、必要以上に背負ってしまったり、必要以上に傷ついたりしていました。
でも歳を重ねると、少しずつわかってきます。
どれだけ誠実にやっても、合わない人はいる。
ちゃんと向き合っても、伝わらないことはある。
こちらが何もしていなくても、勝手に嫌う人はいる。
それは悲しいことですが、現実でもあります。
そして、この現実を何度か引き受けるうちに、少しだけ楽になりました。
全員にわかってもらおうとしなくていい。
全部の期待に応えようとしなくていい。
誰かの機嫌のために、自分の軸まで差し出さなくていい。
歳を取って得たのは、諦めではなく、守るものの優先順位なのだと思います。
なんでも抱え込める人が強いのではなくて、何を抱えて、何を手放すかを選べる人のほうが、きっと強い。
昔より少しだけ、そう思えるようになりました。
そして、歳を重ねると、人を見る目も変わります。
若い頃は、勢いや言葉のうまさに引っ張られることもありました。
でも今は、その人が何を言うかより、どう振る舞うかを見るようになりました。
立場の弱い人にどう接するか。
うまくいかないときに、誰のせいにするのか。
自分に得がない場面で、どんな態度を取るのか。
きれいな言葉を並べることより、そういうところに人の本質は出ると思っています。
看護の現場でも、経営でも、それは同じです。
しんどい人に対して想像力を持てるか。
自分の正しさより、相手の尊厳を守ろうとできるか。
感情のまま人を傷つけずにいられるか。
歳を取ったからこそ、人の未熟さにも、自分の未熟さにも、少しだけ現実的になりました。
人は簡単に立派にはならないし、正しいことを知っていても、そのとおりに振る舞えるとは限らない。
だからこそ、言葉より行動を見る。
優しさより、それが都合のいい優しさではないかを見る。
「いい人そう」より、「苦しいときに何を選ぶ人なのか」を見るようになりました。
それは、人を疑っているというより、表面のきれいさだけでは、もう信じきれなくなったということなのかもしれません。
失ったものの先に、見えてきたもの
歳を取ると、失うものはたくさんあります。
若さ、体力、勢い、無敵感、回復の早さ。
もしかすると、何も知らなかった頃のまっすぐさや、無防備な明るさもそうかもしれません。
でも、その代わりに得るものもあります。
無理の限界を知ること。
全部を背負わなくていいと知ること。
人の言葉に振り回されすぎないこと。
大事なものと、そうでもないものを見分けられること。
そして、自分が守るべきもののために、余計なものを手放せること。
若い頃のようには、もう戻れません。
でも、戻りたいとも思いません。
あの頃には、あの頃の良さがあった。
今には、今の良さがある。
失ったものは確かにあるし、それを惜しむ気持ちも嘘ではない。
でも、歳を取ったからこそ見える景色もあるのだと思います。
昔のようになんでもできるわけではない。
でもその代わりに、何をするべきで、何をしなくていいのかは、少しわかるようになった。
誰にでも優しくできるわけではない。
でも、本当に大切にしたい人や、守りたいものは、前よりはっきりしてきた。
歳を取るというのは、失うことではなく、自分にとって必要なものだけを残していくことなのかもしれません。
若さは、いずれ誰にでも平等に過ぎていきます。
でも、歳を重ねた人にしか持てない深さは、ちゃんとある。
だから私は、ただ若さを惜しむ人より、失ったものを知ったうえで、それでも今の自分を引き受けて生きていける人でありたいと思います。
若い頃には戻れない。
でも、戻れないからこそ辿り着ける場所もある。
歳を取ることは、悪いことばかりじゃない。
そう思えるだけのものを、これからも自分の中に増やしていきたいと思っています。
さいごに
歳を重ねることは、できなくなることを増やしていくことでもあります。
けれど同時に、今まで見えなかったものが見えるようになり、自分にとって本当に大切なものが少しずつわかってくることでもあります。
失ったものを数えるだけではなく、今の自分だからこそ持てるものにも目を向けていきたい。
これからも、無理をすることだけを「頑張る」とはせず、自分自身も大切にしながら、仕事も人生も長く続けていけたらと思っています。