大阪市全域を訪問区域とする『訪問看護ステーションくるみ』の代表、濱脇直行が綴る『専務エッセイ』第85弾!
訪問が終わって時計を見ると、「あれ、今日も結構しゃべったなあ」と思うことがあります。
話が必要な日もあれば、思ったより早く落ち着く日もある。
訪問看護の時間って、毎回きっちり同じになるものではないんですよね。
こんにちは、専務の濱脇です。
訪問看護をしていると、利用者さんから本当にいろいろな要望をいただきます。
「この時間に来てほしい」
「できれば同じ看護師に来てほしい」
「もう少し長くいてほしい」
「ちょっとこれを手伝ってほしい」
……などなど。
こうした要望を伝えてもらえること自体は、とても大切です。
言ってもらわないとわからないこともたくさんありますし、その言葉の中に、不安や困りごと、安心したい気持ち、その人なりの生活のしづらさが隠れていることもあります。
ですから、「要望を言わないでほしい」という話ではありません。
今日は、その「要望」について考えてみたいと思います。
大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市、吹田市、尼崎市全域対象
“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」
平日・土曜・祝日 9:00〜18:00
【日曜・お盆・年末年始休み】
※訪問は20時まで
対応させていただいております。
要望を聞くことと、要望どおりに動くことは違う
まず私が伝えたいのは、要望を聞くことと、要望どおりに動くことは、同じではないということです。
くるみでは、訪問時間を基本30分としています。
もちろん、その日の状態によって45分必要な日もあれば、1時間ほど時間をかけたほうがいい日もあります。
大切なのは、何がなんでも30分で終わらせることではありません。
「今日はどんな状態なのか」
「何を確認する必要があるのか」
「何を一緒に考えるのか」
「どこまで関わることが必要なのか」
それを考えながら、その日の訪問を組み立てることも、看護師の仕事だと思っています。
一度長く介入したから、その後も毎回同じ時間が必要とは限りません。
なんとなく話が長くなった。
以前からこの時間だったので、そのまま続けている。
長く話をすることそのものが目的になっている。
そうなっていないかは、時々立ち止まって考える必要があります。
必要なときに時間をかけることと、「長い時間一緒にいること自体」を支援と考えることは、似ているようで少し違います。
長く話せたから良い訪問だった。
たくさん話を聞けたから良い看護だった。
それだけでは、本当に必要な支援だったのかはわかりません。
その時間の中で何を見て、何を感じ、何を考えたのか。
そして、その関わりが利用者さんのこれからの生活にどうつながるのか。
そこまで考えることが大切なのだと思います。
「良かれと思って」が、支援の幅を狭くすることもある
また、一人のスタッフが継続して特別な対応をしていけば、それが利用者さんにとって「事業所としての通常の対応」に見えることもあります。
そうなれば、「以前はしてもらえたのに、今日はなぜ違うんだろう」と感じるのも自然なことですよね。
だからこそ、看護師側が自分の関わりの意味を考え、チームで共有しておく必要があります。
これは、「同じ看護師に来てほしい」という希望についても同じだと思います。
安心できる人に来てほしいと思う気持ちは、とても自然です。
その背景には、不安や緊張、人との関係をつくる難しさ、これまでの経験など、いろんな理由があるかもしれません。
だから、まずその理由を知ろうとすることが大切になります。
一方で、一人の看護師との関係だけで支援を続けることが、その人にとって長期的に良いことなのかについては、別で考える必要があると私は思います。
くるみでは、一人の利用者さんを一人の看護師だけで支えるのではなく、小さなチームで支えていくことを大切にしています。
いつも同じ人でなければ安心できない状態を、無理に変えるということではありません。
その人のペースを見ながら、少しずつ複数のスタッフとも安心して関われるようになることで、支援の幅も広がっていくと考えています。
スタッフが変わることで、違う視点が入ることもあります。
一人では気づかなかった変化に、別の看護師が気づくこともあります。
チームで支えるということには、そんな意味もあります。
そして、利用者さんの要望だけではなく、看護師側にも振り返るべきことがあります。
それは「良かれと思って、やりすぎてしまうこと」です。
長く話を聞くことが良い看護。
なんでも手伝うことが優しい看護。
自分にだけ本音を話してくれることが、良い信頼関係。
……これって、とても良いことに見えがちです。
でも、その関わりによって本当に生活が良くなっているのか。
その人がもともと持っている力を使う機会を減らしていないか。
関われる人や場所を狭くしていないか。
そこまで見ないと、本当にその人のためになっているのかはわかりませんよね。
「してあげる」より、その人のこれからを考える
看護師自身が看護観を持つことは、とても大切です。
ただ、自分の経験や価値観が強くなりすぎると「この人はこういう人だから、この方法がいいよね」と、いつの間にか決めてしまうことがあります。
そうなってしまうと、その人を見るより先に、方法が決まってしまいます。
病院での看護と、自宅での看護も同じではありません。
病院は治療を受ける場所ですが、自宅はその人が毎日生活している場所です。
私たちは、その生活の中に入らせてもらっています。
だからこそ、看護師側の「正しさ」をそのまま持ち込むのではなく、
「その人がどんな生活を送りたいのか」
「その生活の中で、看護がどのように関わればいいのか」
を考える必要があります。
訪問看護には、当然できることとできないことがあります。
ただ、それを仕事内容の一覧だけで判断すればいいとも思っていません。
例えば、自分では電球を替えることができない。
カーテンを外すことができない。
一見すると看護とは関係がないように見えても、それが強いストレスとなって、生活や精神状態に大きく影響しているのなら、一緒に考えたり、少し手を貸したりすることもあると思います。
重要なのは、それをするか、しないかを最初から決めることではないんです。
「なんで、その要望が出ているんだろう?」
「今、その人にとって何が必要なんだろう?」
「手伝うことにどんな意味があるんだろう?」
「この先の生活にどうつながっていくんだろう?」
そういうことを考えることなんだと思います。
特に精神科訪問看護では、生活の場で長く関わるからこそ、信頼と依存の境界がわかりにくくなることもあります。
不安や緊張が強いとき、いつもと違うことへの負担が大きいときには、ほんの少しの行き違いが大きなストレスになることもあります。
だからこそ、関わり方や距離感を調整していくことも、看護師の役割です。
近ければ良いわけでも、離れていれば良いわけでもありません。
その人の状態を見ながら、近づき方を変えたり、少し見守ったり、一緒に考えたりする。
その調整を続けていくことが必要なんです。
本人の希望を尊重する。
でも、何でも希望どおりにするわけではない。
看護師として必要なことを考える。
でも、自分の正解を押しつけない。
私は、この間にあるものを考え続けることが、訪問看護なのだと思っています。
そして、看護師一人ひとりが持っている看護観と、事業所として大切にしている考え方も、少し分けて考える必要があります。
それぞれの経験や看護観は大切です。
そのうえで、チームとして支援する以上、みんなで共有する軸も必要です。
くるみには、くるみとして大切にしているMission、Vision、Value、いわゆるMVVがあります。
迷ったときに立ち返るのは、誰か一人の正解ではなく、そこだと思っています。
そして、くるみが大切にしているTIC(トラウマインフォームドケア)の考え方でも、目の前の行動だけを見て方法を決めるのではなく、その人に何が起きているのか、その背景まで考えていくことを大切にしています。
時間を長くしてほしいという言葉にも理由があります。
同じ人に来てほしいという言葉にも理由があります。
何かをしてほしいという要望の奥にも、その人なりの困りごとがあります。
だから、表面だけを見て断るのも違う。
反対に、そのまますべてを受け入れることも違うんですよね。
「この人はこうだから、こうする」
そんな方法論だけでは、利用者ファーストには到底たどり着けないと思っています。
さいごに
要望をすべて叶えることが、利用者ファーストなのではありません。
その要望にどんな意味があるのかを考えて、その人に今何が必要なのかを一緒に探していく。
必要なときには少し背中を押し、必要なときには一緒に立ち止まり、ときには関わり方そのものを調整する。
そして、自分たちの関わりが、その人の今日だけではなく、これからの生活にどうつながっていくのかまで考える。
それが、くるみが考える利用者ファーストであり、看護師がペースメーカーとして関わるということなのだと思っています。