大阪市全域を訪問区域とする『訪問看護ステーションくるみ』の代表、濱脇直行が綴る『専務エッセイ』第85弾!
9月に入りましたけど、まだまだ暑いですね。
朝はちょっとマシかなと思って外に出ても、昼には普通に暑い。
しかも最近は、急に雨が降ったり、雷が鳴ったり、天気もなかなか落ち着いてくれません。
訪問で車に乗っていても、さっきまで晴れていたのに急に土砂降り。
予定通りにいかんなあと思うことが増えました。
これだけ暑かったり、天気がコロコロ変わったりすると、身体もしんどいですけど、こころにも余裕がなくなることがあります。
普段なら気にならないことが妙に引っかかったり、ちょっとしたことでイライラしたり。
人って、思っている以上に環境に左右されるんやなと思います。
そして、これって人と話すときも同じなんちゃうかなと思ったんです。
今日は「自分から話せる環境と、そうでない環境」について考えてみたいと思います。
大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市、吹田市、尼崎市全域対象
“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」
平日・土曜・祝日 9:00〜18:00
【日曜・お盆・年末年始休み】
※訪問は20時まで
対応させていただいております。
「なんでも話してください」と言われても
「なんでも話してくださいね」と言われて、本当になんでも話せる人って、どれくらいいるんでしょうね。
私ならたぶん、「はい、わかりました」と答えて、そんなになんでも話さないと思います。
むしろ「なんでも」と言われたら、「何から話したらええねん」となるかもしれません。
精神科の訪問看護をしていると、こちらが何も聞かなくてもたくさん話してくれる方もいます。
一方で、こちらから話しかけても、あまり多くを話さない方もいます。
でも、それを単純に、
「この人はよく話す」
「この人は無口」
で終わらせていいのかなと思うんです。
人に話しかけられること自体がしんどいときもあるでしょう。
以前、何かを話して否定された経験があるのかもしれません。
「ちゃんと答えないといけない」と思うだけで緊張する人もいるでしょうし、体調が悪ければ、会話そのものがしんどい日もあります。
だから、
「話したくないのか」
「話せないのか」
「まだ話せる状態じゃないのか」
ここは、ちゃんと分けて考えたほうがいいと思っています。
私自身もそうです。
詰められたり、急かされたり、否定されそうな空気になると、だんだん黙ってしまいます。
別に何も考えていないわけではありません。
むしろ、頭の中ではいろいろ考えています。
でも、
「これ言っても否定されるやろな」
とか、
「早く答えなあかんのかな」
と思い始めると、どんどん言葉が出にくくなります。
これって、利用者さんだけの話じゃないですよね。
職場でも同じです。
「何かあったら言ってください」
「意見があれば遠慮なく」
と言われていても、実際に話したらすぐ否定されたり、強い口調で返されたり、結論を急がれたりしたら、次からは言わなくなります。
だから私は、
「話していいですよ」と言うことと、「話せる環境」をつくることは別なんだと思っています。
沈黙を埋めないことも、ひとつの関わり
精神科訪問看護では、もちろん確認しないといけないことがあります。
睡眠はどうか。
食事はどうか。
薬は飲めているか。
困っていることはないか。
これは、とっても必要なことです。
けれど、相手が黙ったときに、こちらがその沈黙に耐えられなくなって、次から次へと質問してしまうことがあります。
そんなときは、一回考えたほうがいいと思うんです。
「今の質問って、本当にその人のためなんかな?」
それとも、
「黙っている時間が気まずくて、こっちが安心したいだけなんかな?」
と。
質問の仕方や会話の方法を学ぶことは大事です。
でも、方法どおりにやることが目的になったら、たぶん違うんですよね。
相手の表情を見る。
声のトーンを見る。
急かさない。
否定しない。
話したくなさそうなら、無理に聞かない。
沈黙したら、すぐ次の質問を投げない。
そういうことの積み重ねのほうが、私は大事だと思っています。
沈黙しているからといって、何もないわけではありません。
考えているのかもしれない。 言葉を探しているのかもしれない。 今日は話したくないだけかもしれない。
だから、沈黙をむやみやたらと埋めようとしなくてもいい。
今日話さなくても、次の訪問があります。
その次もあります。
毎回の関わりの中で「この人やったら、少し話しても大丈夫かな」と思ってもらえたら、それでいいんじゃないかと思います。
たくさん話してもらえたから良い訪問。
あまり話さなかったから良くない訪問。
そんな単純な話ではないと思っています。
むしろ、こちらが聞きたいことを全部聞けたから満足しているだけなら、
「それは誰のための訪問なんやろう」
と思います。
「話させる」より、「話しても大丈夫」と思える関係を
話さない人を、どうやったら話させられるか。
そこを考える前に、まず自分たちが、その人にとって「話せる相手」になれているのか。
話しても大丈夫と思える空気をつくれているのか。
そこは、ちゃんと考え続けないといけないなと思います。
沈黙も、その人が見せてくれているひとつの姿です。
無理に埋めなくてもいい。
そのとき言葉にならないものを、そのときに言葉にしてもらう必要もありません。
方法や技術はもちろん大切です。
でも、その方法を使うことに一生懸命になって、目の前の人を置いていってしまったら、「それはなんのための看護なんやろう」と思います。
大事なのは、「話してもらうこと」ではなく、
「話しても話さなくても大丈夫」と思える環境をつくること。
人は、安心できて初めて、自分の言葉を出せる。
だから私は、相手の言葉を引き出せる人よりも、相手が自分から言葉を出したくなるような人でありたいと思っています。
これは、利用者さんとの関わりだけではありません。
一緒に働くスタッフとの関係でも、同じだと思っています。
何かあったときに、
「こんなこと言ったらどう思われるかな」
「否定されたら嫌やな」
「忙しそうやし、今は言わんとこう」
と思わせてしまう環境では、本当に必要な声は出てきません。
逆に、
「ちょっと聞いてほしいんですけど……」
と、気軽に言える。
「実は、こう思っていて……」
と話せる。
そんな環境があれば、小さな違和感や困りごとも、早い段階で共有できます。
それは、利用者さんにとっても、スタッフにとっても、大切なことです。
「話してください」と言うだけではなく、「この人になら話しても大丈夫」と思ってもらえること。
私は、そんな関係をつくれる人でありたいと思っています。
さいごに
看護も、経営も、結局は人と人。
相手をこちらのペースに合わせてもらうのではなく、相手のペースを大切にする。
話すことも、話さないことも、その人の大切な選択として受け止める。
そんな関わりを、これからも大切にしていきたいと思います。
今日は、こんなお話でした。
では、また。