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[中村エッセイ] 第16回 看護における誘導は「悪」なのか?

中村エッセイ精神科訪問看護とは

看護師・中村がクライシス・プランの実践を軸に、看護のこと(時々それ以外も?)を自由に綴るエッセイ第16弾!

誘導は悪いことなのか?

先日、クライシス・プランについての研修の中で、こんな質問を受けました。

「対処法の選択肢を示すことは、本人を誘導することにならないのでしょうか?」

例えば、利用者さんと不調のサインについて考える時、「わかりません」と返ってくることがあります。そんなとき僕は、「睡眠時間に変化が現れる人もいますし、食欲が変わる人もいます。人と会いたくなくなったり、逆に誰かに連絡したくなったりする人もいます」と、いくつか例を挙げることがあります。

すると、利用者さんから、「ああ、私は寝られなくなることはほとんどないけど、ご飯を食べなくなるかもしれない」といった言葉が出てくることがあります。

これは「誘導」なのでしょうか?

そして、そもそも看護において「誘導すること」は、なぜ悪いことだというイメージが強いのでしょうか?

 

大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市、吹田市、尼崎市全域対象

“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」

06-6105-1756 06-6105-1756

平日・土曜・祝日 9:00〜18:00 
【日曜・お盆・年末年始休み】

※訪問は20時まで
対応させていただいております。

 

なぜ「誘導してはいけない」という感覚が生まれるのか?

医療や福祉の世界では、「本人主体」「意思決定支援」「自己決定」といった言葉が大切にされています。

支援者側が「あなたはこうしたほうがいい」「これがあなたの問題だ」と決めてしまえば、本人の人生なのに、支援者がそのハンドルを握ることになってしまいます

特に精神科では、支援者と本人の間にあるパワーの差(権威勾配)について、かなり慎重に考えていく必要があります。

だからこそ、「誘導してはいけない」という感覚が強くなってきたのではないかと考えます。

ただ僕は、「誘導しない」ということが、いつの間にか「何も提示してはいけない」「支援者はできるだけ影響を与えてはいけない」という意味になってしまうことには違和感があります

そんな風に考えていくと、目指すべきなのは「一切誘導しないこと」ではないように思います。

 

選択肢を示さないことは、本当に本人主体なのか?

この記事を読んでいる皆さんも、突然誰かに「あなたが調子を崩す前のサインを自由に挙げてください」と言われたら、たぶんすぐに思い浮かばずに困る人が多いのではないでしょうか?

人は自分の経験をいつでも自由に言葉にできるわけではなく、「例えばこんなことはありませんか?」と具体的な例をいくつか示されて初めて、「それはないけど、そういえば自分の場合は……」などと思い出すことがあります。

※人はゼロから思い出す(自由再生)よりも、ヒントを見ながら思い出す(再認)ほうが圧倒的に容易。つまり、選択肢を示すことは「答えを与える」ことではなく、記憶や経験を整理するための足場(スキャフォールド)になり得る。

看護の中で、看護師の「眠れなくなることはありますか?」という質問に対して、利用者さんが「いや、むしろ寝すぎてしまいます」と答えるやり取りがあったとします。

このやり取りでは「眠れなくなる」という看護師の提示は採用されませんでしたが、その提示があったからこそ、「寝すぎる」という本人の経験が言葉になったと考えることができます。

何も提示せずに、「本人から自然に出てきた言葉だけを大切にする」ことが、必ずしも本人主体とは限らないと、僕は思います。

そうなると、言葉化が得意な人だけが、自分の希望や経験を表明しやすい支援になってしまう可能性もあるからです。

 

問題なのは、誘導の目的が何なのか

では、どんな誘導でも構わないのかというと、そうではありません。

問うべきなのは、「その関わりによって本人の選択肢は狭くなったのか、それとも広がったのか」、そして「最後にその答えを決めたのは誰だったのか」ではないでしょうか

「眠れなくなるんですよね?」「この対処法をやったほうがいいですよ」「具合が悪くなったら訪問看護に電話しましょう」

こうして看護師があらかじめ用意した「正解」に本人を着地させようとすれば、それは本人の選択ではなく、支援者の押し付けになってしまいます。

しかし、「こういう人もいますが、あなたはどうですか?」などと選択肢を置きながら、本人がそれを選んでもいいし選ばなくてもいいし、選んだあとで「やっぱり違う」と修正してもいいスタンスを看護師が保っているとどうでしょう?

つまり、強調したいのは、選択肢を”採用させる”ことが目的ではなく、思い出すきっかけを提供することが目的なのだということです。

精神科看護では、本人と看護師が、その人の経験や今起きていることを一緒に考え続けることが大切だと思います。

だからこそ、看護師が一人の人として、知っていることや考えたことを差し出すことは、大事な関わりなのではないかと考えています。

 

この記事を書いた人

中村義幸

中村 義幸

フリーランス看護師 / MIRAI訪問看護ステーション 非常勤取締役

芸術系の大学で音楽を学んだあと、看護の道へ進む。精神科急性期病棟および精神科訪問看護での勤務を経て、現在は大阪を拠点にフリーランスの看護師として、訪問看護ステーションで働く方々に向けた精神科に関する教育支援などを中心に活動している。あわせて、東京のMIRAI訪問看護ステーションにて非常勤取締役を務めている。

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