大阪市全域を訪問区域とする『訪問看護ステーションくるみ』の代表、中野誠子が綴る『社長エッセイ』第_弾!
「拒否」という言葉を聞くと、
「嫌がっている」「受け入れない」そんな意味に捉えてしまいます。
でも、看護をしていると、その「拒否」と呼ばれているものの中に、その人なりの「伝えたい」が隠れていることがあります。
今日は、そんな「拒否」について考えてみたいと思います。
大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市、吹田市、尼崎市全域対象
“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」
平日・土曜・祝日 9:00〜18:00
【日曜・お盆・年末年始休み】
※訪問は20時まで
対応させていただいております。
「拒否」の中に、その人の「伝えたい」がある
子どもは、自分の気持ちをうまく言葉にできないことがあります。
「嫌だ」「怖い」「しんどい」「どうしていいかわからない」
そんな気持ちを言葉にできなくて、イライラして物を投げたり、怒ったり、泣いたり。
それは、精神疾患を抱える方も同じです。
今、自分がどんな気持ちなのか。
それが症状なのか、自分の感情なのか。
どう表現したらいいのか。
本人だってわからないことがあります。
だから、言葉ではなく行動になる。
怒る。
黙る。
逃げる。
拒否する。
私たちから見れば、「困った行動」に見えるかもしれません。
でも、その人は何も伝えようとしていないのでしょうか。
私は、そうは思いません。
伝えようとしてくれている。
ただ、その形が、私たちが普段コミュニケーションとして使っている形ではないだけなんです。
だから私たち支援者は、「どうしてこんなことをするんだろう」で終わらせない。
その人が何を伝えようとしているのか。
生活はどうなのか。
身体の状態はどうなのか。
いつからなのか。
その前後に何があったのか。
環境は変わっていないか。
本人は何を感じているのか。
いろんな情報をつなぎ合わせながら、その人の「伝えたい」を考えていく。
それが、私たちのするアセスメントなんだと思います。
「拒否された」と「嫌われた」は、同じじゃない
でも、ここで支援者側の気持ちも無視できません。
拒否されると「嫌われたのかな」と傷つくことがあります。
そして、嫌われたと思ってしまうと、少しずつ萎縮してしまう。
声をかけるのをためらったり、
必要以上に距離をとってしまったり、
「また拒否されたらどうしよう」と構えてしまう。
その変化を利用者さんは感じ取ります。
すると今度は利用者さんが「やっぱり、この人は私のことが嫌いなのかな」と思ってしまうかもしれません。
そうなると、お互いに距離ができてしまいます。
拒否された
↓
支援者が傷つく
↓
萎縮する
↓
利用者さんがその変化を感じる
↓
「やっぱり嫌われている」と思う
↓
さらに拒否や距離が生まれる
そんな悪循環が起きることもあります。
だからこそ、「拒否された」という事実と、「嫌われた」という解釈は分けて考えたい。
その拒否は、私自身を否定しているのでしょうか。
それとも、その人が今の自分の何かを伝えようとしているのでしょうか。
ここを間違えないことが、支援者には大切なんだと思います。
そして、知りたいと思わなければ、見えないものがあります。
知りたいと思わなければ、聞こえない声があります。
表情のほんの少しの変化。
いつもと違う視線。
いつもより長い沈黙。
いつもなら受け入れることへの拒否。
そこに、その人からのメッセージがあるかもしれません。
だからこそ、目の前の「拒否」だけを見るのではなく、その前後に何があったのか、その人の中で何が起きているのかまで見ていきたいと思っています。
行動を止めることと、「伝えたい」をなかったことにすることは違う
もちろん、物を投げることや、人を傷つけることをそのまま肯定するわけではありません。
安全を守ることも必要です。
してはいけないことには、きちんと伝えることも必要です。
でも、行動を止めることと、その人の「伝えたい」をなかったことにすることは違います。
ここは、とても大事なところだと思っています。
アセスメントは、情報を集めることだけじゃない。
その人を知りたいと思うこと。
その人の「なぜ?」を諦めないこと。
そして、まだ本人にも言葉にできていないものを、一緒に探していくこと。
私は、それが看護だと思っています。
「拒否された」で終わるのか。
それとも、
「この人は、何を伝えようとしているんだろう」と立ち止まれるのか。
その一歩で、私たちが見える世界は変わる。
そしてもしかすると、その一歩が利用者さんとの関係を変える一歩にもなるのだと思います。
さいごに
訪問看護では、目の前に起きていることだけを見ていても、その人のことはわからないことがあります。
言葉の奥にあるもの。
行動の奥にあるもの。
そして、時には「何も言わない」ということの中にあるもの。
そういうものを、「知りたい」と思い続けることが、私たちには必要なんじゃないかなと思います。
「拒否されたから、もう無理」ではなく、
「何か伝えたいことがあるのかもしれない」と考えてみる。
もちろん、いつもすぐに答えが見つかるわけではありません。
それでも、諦めずにその人を見ていく。
私は、そんな看護師でありたいと思っています。
さあ、次は何を書こうかな。