
看護師・中村がクライシス・プランの実践を軸に、看護のこと(時々それ以外も?)を自由に綴るエッセイ第19弾!
その人にとっての目標や希望をどう知るか
学生時代から、看護を展開していく上で「本人の目標や希望を知ること」はとても大切なことと繰り返し教わってきました。
その人がどんな生活を送っていきたいのか、ありたい姿やなりたい姿はなんなのか。
ただ、目標や希望について本人の考えていることを知ろうと考え実際に直接質問を投げかけてみたとしても、明確な回答が返ってくるとは限りませんでした。
「特にないですね」とか「わかりません」とか「今はなにも考えられません」とか、希望など含まれていないような返事が返ってくることも全然珍しいことではないと思います。
でも考えてみればそれは当然のことで、自分自身に当てはめてみても、とにかく悲しくて気持ちが落ち込んでいたり、なにか得体の知れない不安を抱えている時だったり、日々をやり過ごすことでいっぱいいっぱいな時期に、とても未来への希望を言葉にするなどというのは容易なことではありません。
なので自然な流れで結果的に、僕はその人の話す言葉だけに着目するのではなく、その人が生活の中で「繰り返していること」、つまり行動の背景に隠されている目標や希望を想像しながら関わるようになっていったんだと思います。
大阪市、寝屋川市、守口市、
門真市、大東市、枚方市、吹田市、尼崎市全域対象
“精神科に特化”した
訪問看護ステーション
「くるみ」
平日・土曜・祝日 9:00〜18:00
【日曜・お盆・年末年始休み】
※訪問は20時まで
対応させていただいております。
繰り返していることの背景を想像してみる
僕自身ももちろんそうですが、人は誰もが生活の中でたくさんのことを繰り返しています。
仕事に行くことやお風呂に入ること、お茶やコーヒーを飲むことなどのように毎日繰り返ししていることもあれば、掃除や洗濯のように数日おきにやっていることもあるでしょう。
習い事に行ったり好きなバラエティ番組を見るのは毎週だし、乗っている車や自転車の点検・整備は毎月〜数ヶ月おき。帰省や旅行、お花見などのように半年〜数年に一回ということもあるでしょう。
さらに、好きなアーティストのコンサートのように、開催されるタイミングが合えば必ず行く、というものもあります。
例えば、毎日3回歯をみがく人がいたとします。歯みがき自体は誰もが毎日ごく当たり前のように繰り返している行動だと思いますが、その背景には実はいろいろな思いがあるのではないでしょうか?
「口の中を清潔にしていたい」「気持ちよく一日を過ごしたい」「虫歯にはなりたくない」「人に不快に思われたくない」
誰もがそこまで意識して歯を磨いているとは限らないと思いますが、それでも、繰り返している行動の奥にはその人なりの「こうありたい」という願いが隠されています。
毎週英会話教室に通っている人なら、「英語を話せるようになりたい」という目標の先に、「海外旅行を楽しみたい」「外国の人と話したい」という目的があるかもしれないし、毎週決まった曜日にマンガ雑誌を買いに行く人なら、それを読むことだけでなく、雑誌を買いに本屋さんへ向かう時間そのものが楽しみなのかもしれません。
調子が悪い日でも犬の餌だけは欠かさない人なら、「犬を大切にしたい」という思いだけでなく、「自分がこの子の世話をする人でありたい」という、その人自身のあり方につながっていることもあるのだと思います。
看護師が勝手に「希望」と決めつけない
ただし、繰り返していることを見つけたからといって、「これがこの人の希望だ」と決めつけるのはちょっと違うなと感じます。
繰り返している行動の中には、本人が「本当はやめたい」と思っていることもあると思うからです。
不安から何度も確認してしまうこともありますし、義務感だけで続けていること、「好きでやっている」というより「やらずにはいられない」という行動もあります。
大切なのは、行動を見てすぐに意味づけすることではなく、「この人は、どうしてこれを続けているんだろう」「これができなくなったら、何が困るんだろう」「本人にとって、これはどんな時間なんだろう」などと想像しながら関わること、そして、タイミングを見ながら「この時間って、〇〇さんにとってけっこう大事なんですか」「これをしているときは、どんな感じですか」と本人自身の感覚を聞いてみることだと考えています。
「目標」とか「希望」という大きな言葉を使わなくても、その人が大切にしているものは、日常の話の中から少しずつ見えてくるのではないかと思います。
生活の中にすでにあるものを一緒に見つけていく、くらいのイメージでしょうか。
日常を繰り返すこと自体が希望なのかもしれない
患者さんや利用者さんだけでなく、色んな人の生活を見ているとときどき感じることがあります。
それは、繰り返している行動の背景に何らかの希望が隠されているというだけではなく、そもそも「日常を繰り返すこと」そのものが希望なのではないか、ということです。
朝起きる。食事をする。薬を飲む。着替える。買い物に行く。お風呂に入る。布団に入る。
あまりにも当たり前にやっているので、価値あることとして意識されにくいものばかりなのですが、心身の調子を大きく崩した経験がある人にとっては、この「いつもの一日」を続けること自体が簡単ではなく、当たり前ではなかったりします。
つまり日常を維持することは、その人が理想とする生活へ向かっていくための一本の道筋でもあり、「今日も自分の生活を生きた」ということの積み重ねでもあるのかなと、そう思うのです。
昨日と同じように今日を過ごし、今日と同じように明日を迎える繰り返しの中にも、確かに希望はあるのではないでしょうか。
「いつもと同じように過ごしてください」
僕がまだ精神科訪問看護に勤めて間もない頃、利用者さんから「調子が悪い」と電話がかかってきたことがありました。
「このつらい気持ちを、どうしたら楽にできますか」と、そんなふうに尋ねられたとき、先輩看護師の一人がその人にこう話しました。
「いつもこの時間帯は何をして過ごしていますか?」「できるだけいつもと同じように過ごしてみてください」
このやりとりが、今でもとても印象に残っています。
相手が苦しいときには、何か特別な対処法を考えたくなります。
僕はこの電話がかかってきた時、なにか気分転換をしたほうがいいのではないか、何か新しいことをしたほうがいいのではないかと考えていましたが、「いつもの生活」を維持することそのものが、その人にとっての支えに繋がることもあるのだと、そう気付いた出来事でもありました。
いつもの時間にお茶を飲み、いつもの配信を見て、いつものように夕食を食べ、いつもの時間に布団に入り……
その人がこれまで何度も繰り返してきた行動は、調子を崩したときに戻れるところでもあります。
誰かの目標や希望を知ろうとするとき、未来ばかりに目を向けるのではなく、日常の中に視点を持っていくことも大切なことだと思います。